【バチカン6月24日OSV】ドイツの教会内で議論を引き起こしている「シノドスの道」(ドイツ司教協議会が主導した3年にわたる教会改革のプロセス)に関わる信徒の団体は、同団体がミサにおける信徒による「説教」を認めるようドイツ司教団を通して、教皇庁(バチカン)に許可を求めていたが、最近却下された。それでも同団体は、引き続き「説教」の権利を認めるよう要求すると表明した。
6月23日にバチカンから発表されたプレスリリースで、典礼秘跡省は、ドイツ司教協議会からの提案を却下したとした。その提案とは、「例外的な状況において、正式に委任された信徒がミサの中で司祭に代わって説教をすることを認める」よう求めるものだった。
同省長官のアーサー・ローチ枢機卿は6月17日の書簡で、ドイツ司教団に却下を伝えていた。
「この提案が示されるに至った司牧的懸念に対しては感謝していますが、典礼秘跡省は現行の規範はインドゥルトゥム(教会法の例外、特定の規則に従わなくてよいという許可)によって免除することはできないと改めて通知します。なぜなら、説教が司祭または助祭に限定されているのは、単に規範の基準だからではなく、典礼のまさに本質から派生しているものだからです」
「シノドスの道」議論呼ぶ提案続々
ドイツのカトリック系報道局KNAによると、ドイツの信徒の団体、カトリック中央委員会(ZdK)委員長のイルメ・シュテター・カープ氏は、バチカンへの最初の要求に、同委員会は関わってはいなかったと述べたが、同国司教団と共にこの問題を押し進め続けると主張している。
「私たちは、ドイツ司教団が、この問題について実質的な立場をバチカンに再度申し入れ、その主張を補強し、ローチ枢機卿からの返信書簡の内容についていかなることがあっても落胆するような解釈をしないことを期待します」と委員長は語った。
ドイツのカトリック女性協会(KFD)も声明を発表し、バチカンの却下を、カトリック教会が「女性を主要な職務や奉仕から排除する仕組み」に固執している証拠だと述べ、非難した。
「真の疑問は、バチカンで要職に就いている人々がなぜ、女性と男性双方が持つ力強い魅力と召命を無視し続けるのかという点です」と同協会の霊的指導者のルース・フェルカー氏は述べた。
ZdKとKFDは、「シノドスの道」に深く関わっている。この改革プロセスから、同性同士のカップルへの祝福(既報記事こちら)や女性の叙階を含む多くの提案が生まれた。しかしそれらの提案は懸念を呼び、特にバチカンから強い懸念が上がった。
説教をする資格があると認められた信徒が、司牧的必要性に基づいて、主日や祝祭日のミサで説教を行うことを可能にしてほしいという今回の要望も、この「シノドスの道」で提案され、2月のドイツ司教総会で承認された。
「シノドスの道」の在り方を最も懸念した人物の一人が、前教皇フランシスコだった。フランシスコは、ドイツ司教団が向かう方向性を非難し、それは聖霊によってではなく、イデオロギー的な原則によって導かれている道だと警告していた。
ドイツ司教協議会は見解を表明し、この要求が却下されたのは、「叙階されていない人がミサで説教を行うことが認められていない」という理由からだと認めた。
司教団は教会法を引用し、「現行の規範でも説教やミサとしてではなく、信徒には委ねられたさまざまな形での宣言が認められている」と指摘するが、一方で、教会法は明確に、説教は「典礼自体の一部であり、司祭または助祭が行うべきものだ」と規定している。
ドイツ司教団、バチカンとの往復書簡を公開
ドイツ司教団は、この問題に関するバチカンとの往復書簡、3月30日にインドゥルトゥムを要求した書簡とその書簡を受けたローチ長官からの返信の書簡を公開した。
インドゥルトゥムを求めた理由の中に、ドイツ司教団は司祭の不足と司式する司祭が高齢のため、あるいは身体的な脆弱(ぜいじゃく)さや言葉の壁、またその他の障害により説教を行えない状況が増えている点を挙げていた。
また司教団は、一般信徒が福音朗読の後でなく、ミサの開始時に教話を行うことを許可するという1988年の規則は実用的ではないと主張した。
ローチ枢機卿の書簡は、ドイツ司教団の司牧的懸念には感謝を表しつつも、教会法と2004年にバチカンから発表された「ゆるしの秘跡」の規範では、「ミサ、あるいはたとえ別の呼称であっても、信徒がその中で説教を行う可能性を明確に排除しています」と述べている。
この規範は「規律としての性格をもつもの」ではないが、むしろ「説教の神学的、典礼的本質に結び付いた」現実を反映している、と枢機卿は付け加えた。
ことばの典礼の本質的な行為として、説教は福音朗読や典礼の司式と密接に結び付いており、叙階された司祭の三つの任務のうちの一つ、「教える任務」の具体的な実践を表す、と枢機卿は言及した。
司祭が説教を行えない困難な状況に対するドイツ司教団の懸念について、ローチ枢機卿は、そのような状況は一時的なもので、「典礼行為の本質と密接に関連する規範からの逸脱を正当化するような緊急事態や真の司牧的必要」とはならない、と枢機卿は強調する。
「例えば、一時的な身体的問題などで、司祭が司式できなくなる状況は、臨時的で、短期間の状況といえ、永続的な司牧的必要性を正当化するものとは見なすことはできません」

