教皇の一般謁見講話 教会の祈りは日常の解毒剤
【バチカン8月5日CNS】1カ月に及ぶ夏季休暇を終え、教皇レオ14世は8月5日、一般謁見講話を再開し、カトリック信者に「教会の祈り(聖務日課・時課の典礼)」を日々の生活に深く根付かせるよう促した。この教会の公的な祈りは、技術や消費主義、効率重視の考え方によって形づくられる世界への「解毒剤」となると語った。
「週ごとの、また日ごとの感謝の祭儀と『教会の祈り』は教会のいのちの息吹といえ、その息吹によって、聖霊を教会という体全体に行き渡らせてくれるのです」と述べた。
この日のローマは気温が高かったため、一般謁見はサンピエトロ広場ではなく、聖ペトロ大聖堂内で開かれた。
教皇は、この日も第2バチカン公会議の諸文書についての講話を続け、『典礼憲章』を取り上げた。「聖霊こそが、私たちに祈りを教えてくださいます」と述べ、キリスト教信者は聖霊の力を通して神に賛美と感謝をささげつつ、自らをキリストと一致させるとした。
聖体と一致することで、「教会の祈り」は一日のリズムを整えるとし、信者は自身を神の平和に委ねながら、朝の祈りから始まり、昼の祈り、晩の祈りと続け、寝る前の祈りで一日を締めくくる、と教皇は説明し、「各時課が希望の行いとなります」とした。
「教会の祈り」は教会の公的な日々の祈りで、詩編、聖書朗読、聖歌、一日を通して決まった時間に唱える祈りで構成されている。教皇は、祈りは「私たちの人間性の基本的側面」であるにもかかわらず、祈りの伝統は、多くのキリスト教の家庭でさえも、「もはや伝えられていない」と危機感を表す。
「効率性が優先され、消費主義的考え方が支配する」社会の中で、祈りは「無意味でささいなこと」のように見えてしまう、と教皇は危惧し、「科学と技術が全ての答えを提供するとされる」世界の中では、祈りは現実逃避の一つと考えられてしまうかもしれない、と付け加えた。
「兄弟姉妹の皆さん、私たちが主イエス・キリストの来臨を待ち望みながら、教会の典礼上の祈りのうちに、全教会と一致することで、私たちの地上での巡礼の旅に必要な霊的な糧を見いだすことができますように」と教皇は英語圏の人々へのあいさつで願った。
「世界と世界が求めるニーズを避けるのではなく、特に典礼全体の中の全ての祈りは、私たちの人間性にとって本質的に大切な側面です」と教皇は話す。
フランス語圏からの巡礼者へのあいさつの中で、教皇は夏季休暇中の人々に、祈りの中で主と共に過ごす時間を多く取ることで、内的生活を深めるよう勇気づけた。余暇や休みであっても、主に「従い」、「主の現存によって清めていただきましょう」。

