年間第19主日 8月9日 マタイ 14・22-33 試練に向かうキリスト者
イエス・キリストを信じる人は幸いですが、私たちの信仰生活はいつも幸せだとは限りません。ひどい目に遭うたびに、私たちは「本当に神は全能なのか」と疑いを抱き、なぜこんな試練や苦しみを与えられるのかと、恨みさえ感じることもあるでしょう。そのような私たちに、今日の福音は大きな慰めを伝えています。
イエス様は群衆を満腹にさせてからお一人で山に登られました。弟子たちはしばらくの間、イエス様から離れることになりましたが、これは弟子たちではなくイエス様の望みでした。その間、弟子たちは逆風に遭い大きな波に悩まされてしまいました。弟子たちはもともと漁師で、船に関してはベテランだったので、できることは何でもやってみたと思います。ところがその波を避けることはできませんでした。それは、私たちの努力では、押し寄せてくる試練や苦しみの波を避けることができないということを意味します。
そんな弟子たちにイエス様ご自身が近寄ってこられます。ところが、命の脅威に苦しむ弟子たちが叫んだ言葉は「幽霊だ」でした。実に、私たちが霊的に深い困難の中にいる時、自分に近寄ってくるのがイエス様なのか、悪霊なのかもよく分かりませんし、誰かが近寄ってくるだけでひどく警戒することもあるでしょう。弟子たちはそのような私たちの姿をよく映し出しているのです。
イエス様は「わたしだ」と言われますが、ペトロは信じられず、「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」ととんでもないことを願います。イエス様ならば可能にしてくださると思ったのでしょう。「来なさい」という返事を聞いたペトロは、イエス様だけを見て、誰もできなかったことに乗り出します。仲間には非常に愚かに見えたかもしれません。まるで自殺行為みたいなことだからです。ところがペトロはイエス様だけを見つめ、イエス様に向かって水の上を歩くことができました。
ところで、ペトロの目は一瞬、イエス様から離れ、強い風、波、そしてその中に立っている自分の弱さに捕らえられます。自分は水の上を歩くなど絶対にできないと思い、恐怖に襲われた瞬間、実際に命が危うくなりました。そうして初めて、ペトロは「主よ、助けてください」と完全に自分自身をイエス様に委ねます。そして、イエス様の手を取って再び船に乗り込むと、波は影も形もなくなり、いつの間にか穏やかになっていたのです。
イエス様がどうして先に波を静めてくださらなかったのかを考えてみます。ペトロは二度も命の脅威を経験して初めて完全に自分自身をイエス様に委ねることができました。私たちがイエス様に向かって歩んでいく道において、このようなことがきっとあるはずです。イエス様は、その時に出てくる私たちの心からの真実な祈りを望んでおられるのでしょう。私たちは「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と慰めてくださるイエス様に目を向けて、この道を歩み続けるのです。
(ダニエル・キム・ドンウク〈金桐旭〉神父/韓国殉教福者聖職修道会 カット/高崎紀子)

