年間第24主日 9月13日 マタイ 18・21-35 わたしたちも人をゆるします
わたしたちが熱心に働いて、その報酬を受けるのは当然で、正しいことです。反対に、わたしたちが働いたにもかかわらず、それにふさわしい報酬をもらえないことは不正義なのです。経済的な正義という時、報酬を正しく分配することを意味するからです。つまり、わたしたちの働きに応じて報いを受けることは当然で、正義なのです。しかし、わたしたちの労働や努力とは関係なく与えられる報酬は当然なものではありません。さらに、それが自分の必要によって誰かから借りたものであれば、必ず返さなければなりません。借りたものは自分のものではないからです。
今日の福音で、イエス様はたとえ話を用いて兄弟をゆるさなければならないとお教えになりますが、このたとえ話で王は誰を、不届きな家来は誰を意味しているのでしょうか。もし、不届きな家来がわたしたちのことを意味するのなら、今日の福音の結果のように、わたしたちは牢役人に引き渡され、借りたものを全部返すまで苦しみを受けるのでしょう。イエス様の御心を考えず、聖書の文字だけにとらわれると、イエス様が教えてくださる本当のメッセージを誤解するかもしれません。だから、わたしたちは今日のたとえ話を「ゆるし」というメッセージの上で理解しなければなりません。
まず、不届きな家来が王から借りた1万タラントンという金額は、想像できないほどの大金です。当時の一日の給料は1デナリオンで、1タラントンは6000デナリオンです。単純に計算するために、現代の一日の給料を1万円だとすれば、1タラントンは6千万円です。1タラントンだけでも大金ですが、この家来が借りたお金は1万タラントン、すなわち6兆円にあたる金額です。一般の人々は一生で一度も経験できないくらいのお金が全部借金だったのです。ここで、王がこの家来をどれだけ大切にしてきたのかが分かります。この不届きな家来は6兆円をもってぜいたくに暮らしてきたかもしれませんが、その借金を返す能力はなかったのです。むしろ、そのくらいの借金があれば、ある人は死んだ方がいいと思ったかもしれません。王はこの状況を憐れに思い、家来をゆるし、その借金を帳消しにしてやりました。
ところが、その家来は自分に100デナリオンの借金がある仲間を牢に入れました。おそらく、この100デナリオンも王からもらったお金の一部だったのでしょう。自分のものでもないお金を自分のものかのように振る舞い、それが王の姿と対比されるのです。
わたしたちは皆、神の前で不届きな家来のようなものですが、王である神は1万タラントンに当たるお恵みで私たちの過ちや罪をゆるしてくださいました。それは全て、いつかは神に返さなければならないものでしょう。だからわたしたちも、わたしたちに過ちや罪のある兄弟姉妹をゆるしましょう。それが今日の福音を通じて示される神の御心だからです。
(ダニエル・キム・ドンウク〈金桐旭〉神父/韓国殉教福者聖職修道会 カット/高崎紀子)

