年間第25主日 (祖父母と高齢者のための世界祈願日)9月20日 マタイ 20・1-16 イエス様 わたしは何時から?
今日の福音を読むと、「わたしはイエス様から何時に声をかけていただいたのか?」と考えてしまいます。わたしは〇時にイエス様に声をかけていただいた、あなたは〇時に…と。
「わたしの道は、あなたたちの道を、わたしの思いは、あなたたちの思いを、高く超えている」(イザヤ55・9)
わたしたちはイエス様からいつ声をかけていただいたのか?
夜明けなのか? 昼なのか? 夕方の5時なのか?
答えは「一日中」です。
夜明けに声をかけられたわたしは、朝から晩までバリバリ働くことのできるわたし。「イエス様 いつでも声をかけてください!」と元気に応えます。
午前中からのわたしは「何もしないで立っていた」…「何もしないで」には無価値という意味もあり、「わたしは何の役にも立たない。必要のない存在なんだ」と力なく、落ち込むわたし。イエス様からの呼びかけに「イエス様 わたしにはできません。もう少し待ってください…」と返事の声も変わります。そんなわたしにイエス様は「ふさわしい賃金を」…お金のことではなく、「神様の目から見て正しいものをあなたにあげますよ」と声をかけてくださった。
昼から、午後からも孤独のうちに悲しむわたしに、イエス様は声をかけ続けます。
何時に声をかけていただいたかは、イエス様ではなく、わたしたちが決めているのです。
「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに」(イザヤ55・6)
「夕方の5時頃に行ってみると、他の者たちが立っていたので」。原文では「立っている者たちを、見つけた」とあり、この「見つける」は努力して発見するという意味もあります。
夕方の5時のわたしは「だれも雇ってくれなかった」、「報い」がない。誰からも見捨てられていると絶望の中にいるわたしを、イエス様は暑い中、夜明けからずっと探してくださって、ようやく見つけてくださいました。そんなわたしに声をかけてくださいます。
「一緒に神様のぶどう園に行こう」と。
イエス様のあの優しい声を 一人でも多くの人に…。
「今の皆さんは何時からのわたしですか?」
(寺浜亮司神父/福岡教区 カット/高崎紀子)

