年間第26主日 9月27日 (世界難民移住移動者の日) マタイ 21・28-32 後で考え直す
宣教の旅の最後にエルサレムにやって来たイエスは、神殿の境内で商売をしている人たちをそこから追い出します(マタイ21・12-13参照)。このことをきっかけに、イエスとユダヤ教の指導者たちとの対立が決定的になっていきます。指導者たちはイエスに、「何の権威でこのようなことをしているのか」と詰め寄りますが、逆にイエスからヨハネを信じなかった理由を問われます。イエスの問いかけに、誠実に答えようとしない指導者たち(マタイ21・23-27参照)に対してイエスが語ったたとえが、本日のマタイ福音書の箇所です。
「ぶどう園に行って働きなさい」と呼びかける父親に対して兄は「いやです」と一旦は断りますが、後で考え直して出かけて行きます。弟は「お父さん、承知しました」と色よい返事をしますが、結局は出かけて行きませんでした。たとえを語ったイエスは、「この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか」と指導者たちに問いかけます。彼らは「兄の方です」と答えます。
続けてイエスは徴税人や娼婦たちの方が、指導者たちよりも先に神の国に入ることを断言します。その理由は、洗礼者ヨハネが来て神との関わりを正しく生きる道を示したのに、指導者たちはそれを信じなかったけれども、徴税人や娼婦たちは信じたからだと説明しています。何よりも指導者たちは、「後で考え直す」ことをしなかったのが決定的だとイエスは断じています。神の呼びかけにどのような返事をしたかではなく、いかに行動したかが問われているということでしょう。
繰り返し使われていることからも分かりますように、「後で考え直す」という言葉が鍵になっています。新約聖書のギリシャ語では、「後で考え直す」には二つの意味があるそうです。一つは残念に思う、悔やむ、後悔するです。もう一つは考えを変える、心を変えるです。このことからも明らかなように、後で考え直すというのは悔い改め(回心)につながるものです。悔い改めというのは、いろいろな理由で神から離れていたり、神に背を向けている自分の現実に気が付いて、神の方に向き直っていくという方向転換を意味しています。ですから、悔い改めは単なる反省、生活の一部の改善ということではありません。自分の生き方や生活が全面的に変わっていくのが、真の悔い改めということです。
(立花昌和神父/東京教区 カット/高崎紀子)

