門のたとえ、羊飼いと羊のたとえを通して、救い主イエスがどのようなお方であるかを語っているのが本日のヨハネ福音書の内容です。
まず門から入る者と門から入らない者がいることが述べられ、門から入る者こそが羊飼いであると説明されています。ここでの門というのは羊を入れておくための囲いの入り口のことです。扉が付いていたそうです。
朝、羊飼いは囲いの門を開け、羊を連れ出し、青草のある所や水場へ導いていきます。夕方になると羊飼いは羊を門から囲いの中に入れます。羊は危険から守られ、安心して眠ることができます。
次にイエスとイエスを信じる者との関係が羊飼いと羊にたとえられています。とくに羊飼いと羊の親しい関係が強調されています。羊の特徴は羊飼いの声を「聞き分ける」ことです。また羊飼いは自分の羊の名前を呼んで連れ出すとも述べられています。
たとえに出てくる羊は羊毛を取るために飼われています。そのため、羊飼いと羊は何年も一緒に過ごすことになり、関わりは深くなっていきます。羊飼いはそれぞれの羊の個性に応じて名前を付け、必ず名前で呼んだそうです。羊の方も羊飼いの声を知っていて呼びかけに応えて付いて行きます。
それと同じように、イエスを信じる者とはイエスの声を聞く人のことです。ただ聞くというのではなく、聞いて、そして従って行くということです。
門のたとえ、羊飼いと羊のたとえを通してイエスは自身の使命を語るのですが、その意味を理解することができないファリサイ派の姿が描かれています。ファリサイ派のように頑なにイエスを受け入れようとしない人々は盗人であり、強盗であると断じられています。
最後にイエスは「はっきり言っておく。わたしは羊の門である」と宣言しています。イエスは羊を入れておくための囲いの門そのものであるということです。羊の門のたとえを通して、イエスは「救いへの門」であることが明かされます。
イエスという門を通る人は日ごとの糧を見いだし、また神と共に生きる命に導かれます。イエスの声に聞き従う人が「命を受けるため、しかも豊かに受けるため」に救い主はこの世に遣わされて来たのだとヨハネ福音書は告げています。
(立花昌和神父/東京教区 カット/高崎紀子)

