復活節第6主日 5月10日(世界広報の日) ヨハネ 14・15ー21 愛の実践
皆さん、皆さんはイエス様を愛していますか? 愛しているなら、どのように愛していますか? 今日イエス様は、私たちにご自分をどのように愛さなければならないのかについて教えてくださいます。
今日イエス様は、私たちにこう言われました。「わたしの掟(おきて)を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である」。私たちがイエス様を愛しているならば、イエス様の掟を守らざるを得ません。それゆえ、イエス様は今日の福音で次のようにも言われたのです。「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」。ところが、イエス様が私たちに残してくださった掟はただ一つだけです。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」。自分なりに愛するのではなく、ここには「わたしがあなたがたを愛したように」という条件が付いています。イエス様は私たちをどのように愛してくださいましたか? イエス様はご自分の命をささげて私たちを愛してくださいました。私たちはそれほどまでに誰かを愛したことがあるのでしょうか。
私たちが互いに実践できる愛はさまざまで、しかも限りがありません。私たちの心がけによって一言、言葉をかけることも愛であり、そっと手を取ってあげることも愛です。さらに、ミサにあずかって朗読したり、典礼奉仕をしたり、聖歌を大きな声で歌ったりすることも神を愛する行為です。自分の知り合いが苦しんでいる時、その重荷を担い合うことも愛ですし、誰かが間違っている道を歩んでいる時、非難したり、叱ったりするよりも、その人に寄り添って一緒に正しい道に戻ってくることも愛です。私たちが誰かに向かい合う時、その人を愛するために今自分が何をしなければならないのかを考えることが、イエス様の掟を守ろうとする正しい態度ではないかと思います。かつて聖アウグスティヌスはこう話したことがあります。「愛しなさい。そして、あなたが望むことを行いなさい」(『ヨハネの手紙一についての講話』7、8 )。本当にイエス様が言われたように命をささげて誰かを愛するならば、望みが何であっても実践に移しなさいということでしょう。
私たちの中に愛する心が少しでもあるならば、実際に行いましょう。その愛が心の中にあるだけであれば、神様も私たちに対する愛を心の中に持っているままにされるでしょう。私たちが互いに、そして隣の人々に、さらには神様に、私たちの愛を行いによって表すならば、神様もご自分の愛を私たちに直接的に表してくださるのです。なぜなら、イエス様が私たちに次のようにはっきりと言われたからです。「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す」
(ダニエル・キム・ドンウク〈金桐旭〉神父/韓国殉教福者聖職修道会 カット/高崎紀子)

