【バチカン6月4日CNS】神は全ての人を愛し、一人一人が自分の価値と尊厳を見いだすよう助けたいと願っていて、その思いは特に自分には価値がないか、評価されていないと感じている人に向けられている、と教皇レオ14世は強調する。
「神はご自分のみ国を全ての人に与えたいと望んでおられます。それは完全で永遠、至福のいのちです」と教皇は6月4日、バチカンのサンピエトロ広場で開いた一般謁見で語った。
「そして、これはイエスが私たちにしてくださることです。主は序列を設けたりはされず、ご自身の全てをご自分に心を開く全ての人に与えてくださいます」と教皇は説明した。
教皇レオ14世は福音の希望をもたらすたとえについての講話を続けていて、今回は「マタイによる福音書」(20・1~16)の「ぶどう園の労働者」について話した。全ての弟子は永遠のいのちを受け継ぐ上で平等に扱われることを示している。
教皇は説明を続ける。このたとえは「私たちの希望を育んでくれる物語です。私たちは時として、私たちの人生に意味を見いだせないと感じることがあります。自分は役に立たない、ふさわしくないと感じてしまいます。市場で誰かが雇ってくれるのを待つ労働者のようです」。
「市場という設定は今の私たちの時代にぴったりだとも言えます。市場は取引の場で、残念なことに、お金もうけのために、愛情や尊厳さえも売り買いされる場だからです」と教皇は指摘する。「そして私たちは評価されていない、認められていないと感じれば、最初の誘いに応じてしまう恐れもあるのです」
「そうではなく、主は私たちに私たちの人生には価値があることを思い出させてくださいます。そして主の願いは、私たちがこのことを見いだす助けとなることなのです」と教皇は強調する。
意味を見いださせる尊い行い
教皇レオ14世は指摘する。このたとえで、ぶどう園の主人になっている主は、ご自分が出会う全ての人と直接に関わりたいと願っているので、繰り返し出かけて行って、「人生に意味を見いだしたいと願う人を探します」。
「このたゆまない主人は何としても、私たち一人一人の人生に価値を与えたいと願っている」ので、夕方が近づいても出かけて行き、まだ待っている人たちに話しかける、と教皇は続ける。このことが示すのは、「たとえ私たちは人生で少しのことしかできないと思えてしまっても、そのかいは必ずあるということです。いつでも意味を見いだすことはできるのです。神は私たちのいのちを愛してくださるからです」。
ぶどう園の主人は労働者たちに、たとえ後から来て少ない時間しか働かなくても、皆に同じ額の賃金を払う。神から見れば、「一人一人が生きるために必要なものを得るのは当然」で、神は一人一人の尊厳を認めているからだと教皇は説明する。
「物語は最初に雇われた労働者が不平を言ったと伝えています」と教皇レオ14世は言葉を継ぐ。「その人たちには主人の行いの尊さが理解できないのです。主人のやり方は不当ではなく、ただ気前が良いだけで、労働の価値だけでなく、労働者の必要にも目を向けていたのです」
