ハンセン病資料館で企画展 療養所で生きた「外国人」の姿伝える

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ハンセン病資料館で企画展 療養所で生きた「外国人」の姿伝える

 東京・東村山市の国立ハンセン病資料館2階企画展示室で11月29日まで、企画展「ハンセン病療養所のなかの『外国人』」が開催されている。本展は「ハンセン病」と「外国出身」という二つの理由で差別を受けた人々の苦しみや、自身のルーツを大切に生きたことなどを伝える内容となっている。
 これまで日本のハンセン病療養所の歴史は、日本人患者を前提に語られることが多かった。しかし実際は、国立療養所13園のうち10園に、日本の植民地政策によって朝鮮半島から連れてこられた人々が入所していた記録がある。一般社会よりもその割合が高い園もあったという。
 会場には「たたかう」「はたらく」「くらす」「うたう、おどる」「よむ、かく」といったテーマごとに、朝鮮半島にルーツを持つ入所者に関する資料を中心に展示。他にもロシアやインドネシア、台湾の出身者にも光を当てている。

企画展示室入り口
 伏せられていた事実

 同資料館で8月2日に行われたギャラリートークでは、木村哲也さん(同資料館学芸員)が来場者約30人に資料の説明をした。
 「たたかう」のブースでは、「年金獲得闘争」の歩みを展示。1959年に公布された「国民年金法」では、日本国籍の入所者にしか年金が支給されなかった。全園の朝鮮半島出身の入所者らが団結し、所得格差の処遇改善を求めて交渉を進め、72年に年金に代わる「自用じよう費」が差額として支給されることになった。日本が『難民条約』を批准したことで、82年から年金受給の国籍条項はなくなったものの、これは条約批准による社会保障制度の変更であり、木村さんは「政府の意思で差別待遇を撤廃したわけではありません」と話した。
 入所者の間には、年金支給を求める朝鮮半島出身者たちに対する批判的な発言があったことも、記録として残されている。また「はたらく」のブースでは、日本人が担いたがらない重労働や、遺体を取り扱う仕事などを朝鮮半島出身者たちが担わされることが多かったことを伝えている。
 木村さんはこれらの事実が、これまでの常設展示では「伏せられていた」とも説明。「外国人入所者のことを抜きに、ハンセン病問題は語れないと思います」。準備に3年を費やして実現にこぎつけた今回の展示を通じ、「ハンセン病問題への理解だけでなく、『多民族共生』、外国人の方の人権課題について考えるきっかけにしてほしい」と話していた。

 同資料館では会期中、担当学芸員によるギャラリートークほかさまざまなイベントが企画されている。詳細は同資料館ウェブサイトで。

長島愛生園(岡山県)の「一朗道(いちろうみち)」の説明をする学芸員の木村哲也さん。
具奉守(グ・ボンス)さん(日本名・久保田一朗)は同胞の入所者と共に、園内に道を
切り開いた後に自死した
朝鮮半島出身の入所者が実際に使っていた家財品。園内の畑でハクサイを育て、
キムチを漬けるなど、日々自分たちの文化や生活を大切にしていたという
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