年間第32主日 11月8日 マタイ 25・1-13 油を用意できるのは今
今日の福音には10人のおとめが登場します。婚宴の時に、花嫁の友人として共に花婿を待ち、その場をともし火で照らして明るくする役目を持っていたおとめたちです。その10人のうち、5人は賢くて、後の5人は愚かなおとめとして描かれています。特に愚かなおとめたちと花婿のことを描くことで、イエス様はあることのたとえを語っていきます。
10人のおとめたちはそれぞれのともし火を用意して、花婿が来るのを待っていました。賢いおとめたちと愚かなおとめたちの違いは油を用意していたかどうかだけです。花婿が遅れると、賢いおとめたちも、愚かなおとめたちも皆、眠り込んでしまいました。賢いおとめだからといって、ともし火が消えないように目覚めて火を守っていたわけでもありません。しかし、花婿が来た時、状況は完全に変わります。福音には、愚かなおとめたちのともし火が消えそうになったと書いてありますが、実に賢いおとめたちの状況も一緒でした。それで、油を分けてやることができなかったのです。愚かなおとめたちは何とかして火を守らなければならなかったので、結局油を買いに行くこと、すなわち、その場を離れることにしたのです。
その間、花婿が来て婚宴は始まり、戸が閉められます。愚かなおとめたちが帰ってきましたが、花婿は知らないふりをします。このたとえ話で花婿がイエス様を意味するのであれば、そのような姿はこれまで私たちが知っていた憐れみ深いイエス様の姿とは全然違います。愚かなおとめたちに欠けていたのは、油を用意することだけですが、それだけで知らないふりをするなんてひどいと思わないでしょうか。
ここで私たちは、特に死者の月に当たって、重要なことに気付きます。今はイエス様が憐れみ深い御心で私たちの過ちをゆるしてくださいますが、主が再び来られるその時には、主の憐れみを求めることができないということです。主の憐れみを求めることができなくなるのは、主が来られた時、その場を離れていたからで、その理由は常に油を用意していないからです。
今、煉獄にいる多くの霊魂がそのような状況に置かれていますが、幸いにも私たちにはまだ油を用意することができる時間がゆるされていますし、教会が定めたとおりに彼らのためにも油を用意することができます。今がちょうどその時です。私たちが多くの聖人の取り次ぎに支えられて、あらゆる試練に打ち勝つように、私たちがささげる死者のための祈りは彼らにとって大きな支えとなり、また、私たちが受ける免償も彼らの助けになるのです。
(ダニエル・キム・ドンウク〈金桐旭〉神父/韓国殉教福者聖職修道会 カット/高崎紀子)

