年間第29主日 10月18日 マタイ 22・15-21(世界宣教の日) 神様のものを神様に返す
悪い敵がイエス様をわなにかけようとしましたが、イエス様は見事に敵のわなを見破りギャフンと言わせました。人間の悪知恵は神様にはかないません。めでたし、めでたし、一件落着です。一時代前の漫画のとんち問答のようなお話。今日の福音は「神様のものを神様に返しなさい」が大切です。
わたしたちは、うれしいとき、成功したとき、問題が解決したとき、合格したとき、いい出会いがあったとき、感謝されたとき、好きになられたとき、人に必要とされたときなど。よろこんで「神様ありがとう」と感謝を返すことができます。
逆に、失敗したとき、問題が解決できないとき、人に迷惑をかけてしまったとき、嫌われてしまったとき、期待されないとき、自分は必要ない存在と感じたとき、人を嫌いになったり、誰かに意地悪をし、傷つけてしまったりしたとき。神様に何かを返すどころか、「自分はもうゆるしていただけないんだ」と苦しくなります。ファリサイ派の人々も自分たちがやっていることを見つめ直したとき、こんなことを神様にお返しできるのかと、恥じ入ってしまったのでは…。
また病気になったり、帰るところがなくなったり、大切な人を失ったとき…。
そんなとき、神様に何をお返しすることができるのでしょうか?
イエス様が教えられていることは「神様のものは…」です。この神様のものとはいったい何でしょうか?
自分の全てを、自信を持って神様にお返しすることは、なかなかできないことです。
何をお返しできるのかと悩んだとき、手を合わせて、上を見上げると、十字架につけられ苦しんでいるイエス様がおられます。
馬鹿にされて、傷つけられて、仲間たちは逃げ出し、必要とされずに、最後にいのちまで奪われてしまいます。十字架は人間の目から見れば、失敗と敗北、あきらめのしるしです。しかし、イエス様は逃げなかった、絶対に…。
自分をあきらめてしまったとき、十字架のイエス様が離れることなく、一緒にいてくださっています。一人でできないことはたくさんあります。優しい声が聞こえなくなってしまうこともあります。そんなわたしたちとずっと一緒に…。
十字架上のイエス様を見てください。
それが、わたしたちが神様にお返しできる全てです。
どうしても勇気が出ないときは、マリア様のお顔を見てからイエス様を見上げてください。
(寺浜亮司神父/福岡教区 カット/高崎紀子)

