AIに関する教皇メッセージから、自分は何者なのかを考える 世界広報の日記念講演会
60回目となる「世界広報の日」(今年は5月10日)を記念する講演会が6月6日、聖パウロ修道会若葉修道院(東京・新宿区)で開かれ、信徒ら100人余りが参加した。教皇レオ14世は今年1月、聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士(ジャーナリストの保護の聖人)の記念日に発表したメッセージで「人間の声と顔を守る」よう訴えた。その意味を、澤田豊成神父(聖パウロ修道会)が解説した。
AIは人間性を守るために使われているか
澤田神父は最近、教皇メッセージや司教たちの教書類を読んだり、司祭として神学生たちに何を語るべきかを考えたりする時、以前とは「随分と変わってきた」と感じると言う。「(現代は)教皇がAIについて語らなければならないのです。パウロ6世やヨハネ・パウロ2世が想像したでしょうか」
今回のメッセージで教皇レオ14世は、AIを人間の味方にするためには「責任」「協力」「教育」の三つの柱が重要だと訴えている。
そのうちの「教育」について、澤田神父は「皆さん一人一人に向けられています。学ばなければいけないのです。誰一人責任の外にいる人はいない、と教皇は宣言しているのです」と話した。例えばAIの大きな問題点の一つとして、「自分では気付かないうちに、よかれと思ってAIを活用し、そこで得られた結果を善意で拡散する」ことで、悪に加担してしまう場合があることを挙げた。
そして今回、教皇レオ14世がAIと向き合うためのメッセージに使った「声」と「顔」という言葉は、教会の歴史の中で深められてきたと指摘。「顔」は、聖ヨハネ・パウロ2世教皇の頃から盛んに用いられるようになり、2005年の「聖体の年」(2004年10月10日~05年10月23日)、「いつくしみの特別聖年」(15年12月8日~16年11月20日)を経て現在、教会では御父のいつくしみが表わされることを示す「イエス・キリストのみ顔」という言葉が使われている。
また「声」については「召命、神の呼びかけを思い起こさせます」。「創世記」で神は、声をもって次々に命を生み出した。
「声」と「顔」は人間の一人一人の特徴や、固有性と密接に結び付く大切なものだ。澤田神父は、レオ14世はメッセージで、AIが人間性を守るために使われているのかを、一人一人に問いかけている、と語った。
さらに「(教皇は)AIの究極的な課題は、技術の進歩に関連するさまざまな課題を解決することではなく、人間の神秘そのもの、人とは何者なのか、人間はどこに向かっているのか、どのような社会を築くべきなのか、こうした人間の問題に結び付いていると言っています。だから私たち、教会もこの問題を見過ごすことはできないと言っているのです」と説明した。
私たちは何者なのか
不透明性、不確かな情報、作為、偏りなどの負の側面は、テレビやラジオなどのメディアにも起こり得たことで、これまでも問題視されてきた。生成AIは「扱う情報が膨大、かつ便利で、社会全体に大きな貢献をしているがために、問題が大きくなってしまいました。個人では対処できません」。澤田神父は生成AIを使うと、これまで人間が自分で考えて行ってきた「創造的な活動」さえも、あまりにも精巧な形で仕上がってしまうと指摘。
そして司祭が「説教」を作ることを例に、現在のAIをこう説明した。
「説教が(単なる)情報伝達であれば、AIを使っても構わないのかもしれません。しかし、神の言葉を読み解きながら、私たちが教会共同体として、救いへと向かって歩むために、そこから何をくみ取り、分かち合っていくのが『説教』(を作ること)なのだと考えるのであれば、AIには今のところは限界があります」
そして、私たちがAIの利用方法や付き合い方を考える必要に迫られていることは「恵み」だとも話し、AIに飲み込まれないよう「自分は何者なのか」を一人一人が考えることの大切さを強調した。
失敗もする一人一人を愛するイエス
講演会に参加した関口陽子修道女(56/神の御摂理〈みせつり〉修道女会)は、「AIでは洗練されたものが『良し』とされるのだと思いますが、私たち一人一人は(人間なので)、口ごもったり、うまくできなかったり、失敗したりします。そういう人が排除されがちな世界ですが、本当はそういうところが一人一人の特徴で、神様はそれを『良し』とされます。イエス様が、私たち一人一人の弱いところを、本当にすくい上げて愛しておられるところが、AIの、洗練されているけれど味気ないところとは対極にあるし、大切だと思いました」と感想を話した。
都内在住のF.Kさん(35)はここ数年、AIの倫理性について考える活動をしている。5月末に発表された教皇レオ14世の回勅が、世界的に重要なものとして扱われていると感じたこともあって、講演会に参加した。「(AIを)使うことありきではなく、倫理的にどうあるべきかを考えるために(この日の参加者たちが)傾聴している姿が印象的でした」

