能登半島の輪島・七尾を往復 2教会で奉仕する高響子(たか・きょうこ)さん

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能登半島の輪島・七尾を往復 2教会で奉仕する高響子(たか・きょうこ)さん

 7月28日に発生した熊本地震以来、余震が続く被災地の人たちに思いを寄せ、祈る一人だ。
 熊本出身。結婚を機に、輪島市(石川県)に住むようになり約30年がたつ。2年半前の能登半島地震で昼夜を問わず余震が続いた当時を振り返り、熊本地震被災地の人たちのために祈りの輪が広がる一助になればと、こう話す。
 「熊本の方々も今、とても不安な思いをされていることと思います」。余震が続く間も、その後“少し落ち着いたように見える時”も、その時々に、心の中でも現実においても、さまざまなことが起こると言う。
 「現実とは思えないような状況に直面した時、私は“動く”ことができませんでした」。だが、自分のために祈ってくれる人、手を差し延べようとする人たちが教区内外から現れた。出会い、つながり、動ける人も動けない人も、一つになっていくのが被災地だと信じるようになった。
 「お一人お一人の不安に、イエス様が共にいてくださいますように」

 ただで与えられた信仰
高響子(たか・きょうこ)さん

 高さんは、これまで多くの人に祈ってもらい、祈ることができるようになった。「信仰がただで与えられている」ことに感謝しているとこう話す。
 学生時代にプロテスタント教会で受洗したが、20年余り前、息子が海の星幼稚園(同市)に入園したことをきっかけに、当時の園長で、隣接する輪島教会の主任でもあったジュリアノ・スベルツェ神父(カルメル修道会)と出会った。
 教会の礼拝に毎週参加することが難しかった高さんは、ジュリアノ神父から、信者ではない夫と息子も一緒に「家族ごと」食事に誘ってもらい、その温かい関わりに支えられた。
 「静かに神と交わる(祈る)」ジュリアノ神父の姿に「特別な美しさ」や「マリア様への一途さ、イエス様を愛する一途さ」を感じ、心が安らいだ。
 こうして高さんはジュリアノ神父の下でカトリックへの転会手続きに入ったが、その矢先にジュリアノ神父が亡くなった。寄る辺ない気持ちで参加した葬儀で、「あなたが高さん? (ジュリアノ神父から)聞いていますよ」と声をかけてくれたのが、七尾教会(同県七尾市)主任のボンタッキョ・チプリアノ神父だ。
 高さんはチプリアノ神父の下でカトリックに転会。「(輪島教会ではなく)毎週ミサのある七尾教会に籍を置きなさい」と言われ、七尾教会の信徒になった。
 「最初、神父様には『(輪島から60kmも離れた)七尾教会に通うのですか?!』と言いましたが、イタリア出身の神父様から、『私は子どもの頃、馬車で2時間かけて教会に通いましたよ』と言われてしまって」
 以後、高さんは毎週日曜日のミサに参加してきた。毎週水曜日は、輪島で経営する美容室の仕事を早めに切り上げ、午後5時から、チプリアノ神父の指導でカトリック教会の教えについて学んだ。
 七尾教会へ通う生活の中でも心に掛かっていたのは、ジュリアノ神父と出会い、カトリックと出会った輪島教会のことだ。輪島教会で月2度、日曜午後に行われるミサに、高齢の日本人3~4人と、フィリピン出身者が数人参加していた。平日は隣接する幼稚園の園児ら以外にほとんど使われることがなく、教会で子どもの居場所づくりをしたいと考えるようになった。
 教会の利用については、23年の冬ごろから輪島・七尾の両教会を担当する片岡義博神父(名古屋教区)やカルメル修道会に相談し始めていたが、翌年の元旦に能登半島地震が起きた。

 「種はまかれているはず」

 最大震度7の地震で、輪島にあった高さんの実家は倒壊し、仕事場も被災した。震災の半年後には、同居していた義母までも失った。震災関連死だった。
 そんな中、全壊指定を受けていた輪島教会が再建されると聞いた。30年ほど前から自身が見てきた輪島教会は、信徒が減る一方だった。2007年3月に輪島などを襲った地震でも聖堂に大きな被害があり、「そのうち(教会は)なくなってしまうのでは」と感じていた。
 輪島教会の再建は、高さんにとって「奇跡」。教会の建物が存続すること以上に、「信仰がちっぽけな」自分を宣教へと促す、大きな喜びとして受け止めているという。
 ジュリアノ神父亡き後、共に歩んでくれたチプリアノ神父は25年8月11日に逝去。「いつも温かく、時に厳しいことも言いながら」導いてくれた宣教師二人の信仰を思い、翌月の9月27日、輪島教会の献堂式に臨んだ。
 高さんは現在、七尾教会と輪島教会でミサに毎回参加している。
 朝、輪島の自宅を出て、午前10時から七尾教会でミサの準備など典礼の奉仕をする。ミサに参加した後は、教会に隣接する聖母幼稚園で名古屋教区の「カリタスのとサポートセンター」(センター長・片岡神父)が開く、地元の人たちの交流の場「じんのびカフェ」を手伝う。「じんのび」とは、「ゆったり」「のんびり」を意味する地元の言葉だ。
 輪島でミサのある日は、昼頃に車で七尾を出発。午後2時から輪島教会で日本語ミサや英語・タガログ語によるミサに参加し、フィリピン出身の信徒たちがミサでする奉仕をサポートしている。英語やタガログ語ができない“ハンデ”もあるが、できる限りでコミュニケーションをとるという。
 輪島で大切にしていることの一つは、ミサ後に皆で集合写真を撮ることだ。「毎回、司式される神父様が違うので、記念に。みんな写真撮影が好きですしね」
 震災を通して、他者への奉仕や宣教への望みが強められた気がしているが、「正直、日曜日は(1日が長くて)帰宅するとぐったりなんです」。そんな自身の姿を、「信仰の種はまかれているはず」の夫も見てくれている。

金沢から来て英語ミサをささげたシンプリウス・ザワ神父
(カルメル修道会/後列左から3人目)と輪島の信徒ら
(輪島教会で/写真提供:高さん)

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