「風の家」創設40年を祝う 日本人の心に届くイエスの顔を模索

目次

「風の家」創設40年を祝う 日本人の心に届くイエスの顔を模索

 故・井上洋治神父(東京教区)創設の「風(プネウマ)の家」運動40年を記念する集い(「風の家」主催)が5月30日、東京・千代田区の幼きイエス会二コラ・バレのホールで開催された。
 この運動は、井上神父が作家の遠藤周作と志を共にし、「日本の文化的風土のなかにイエスの福音が根をおろし、開花すること」を目指すもの(『風(プネウマ)』編集室ウェブサイトより)。
 記念ミサは、井上神父の志を継いで「信州 風の家」を主宰する伊藤幸史(こうし)神父(新潟教区)が主司式。批評家で詩人の若松英輔さんによる記念講演のほか、創設当時を知る人らを交えた座談会と祝会が行われた。約100人が参加。「井上神父から受けたもの」を思い起こす中で、会場への問い掛けもなされ、一人一人がキリストの福音を生きる道について考えた。

 「風の家」創設の経緯

 司会は「風の家」の機関紙『風』編集室代表の山根道公(みちひろ)さん(ノートルダム清心女子大学教授)が担当し、「風の家」創設の経緯について、井上神父の青年期からの人生を次のように紹介した。
 井上青年は10代の頃から「人はなぜ生きるのか?」と苦悩する中でリジューの聖テレーズの自叙伝と出会った。聖テレーズの信仰を自分のものにしたいと受洗し、聖人が生きたフランスのカルメル修道会へと向かう旅の途上、船の中で遠藤周作と出会う。
 フランス滞在中、井上青年はキリスト教の「文化の重み」を痛感し、「日本人である自分の生活感覚に根差して、キリストの道を求める」志を背負って帰国。同じ志を抱く遠藤と再会し「生涯の同志」となり、1960年に司祭叙階。 その志を、66年、遠藤は小説『沈黙』に、76年、井上神父は『日本とイエスの顔』に結実させる。86年、白柳誠一大司教から「インカルチュレーション(文化内開花)・オフィス」担当司祭の任命を受け、東京・東中野のマンションの一室を借りて「風の家」を創設、機関誌『風』を創刊した。
 「遠藤さんは著作の中で、『自分の本でキリスト教に関心を持ったら、井上洋治神父の本を読むといい』と紹介しているので、それを読んだ青年たちが井上神父のもとに来ていました」
 井上神父は多くの著作を発表し、道を求めて集った青年たちと共に歩みながら「風の家」運動を展開。「日本人の心の琴線を震わせるイエスの顔を探し求める」中で見出したイエスの福音の喜びと自由と平安を次世代に伝え、2014年逝去した。

 アッバ(お父ちゃん)に委ねる心

 ミサは、青年時代に遠藤の本から井上神父に出会い司祭になった伊藤神父のほか、片柳弘史神父(イエズス会)が共同司式した。

ミサを司式する伊藤幸史(こうし)神父(右)と
片柳弘史神父。祭壇上のカリスは、
司祭叙階される井上神父に遠藤周作が贈ったもの

 ミサ説教で伊藤神父は、まず「素朴な疑問からの問題提起」として、「日本のカトリック幼稚園には、子どもを迎えるように両腕を広げて立つ聖母像がありますが、『イエス様の所に行きたい!』という気持ちになるイエス様のご像がないかと方々探したけれど見つかりませんでした。それはなぜでしょう」と問いかけた。
 自身は19歳の時、井上神父と出会い、イエス様へ導かれ、思いもよらなかった形で神父となって今ここでミサをささげている。「風は思いのままに吹く」との聖句通り、これからも聖なる風に導かれ、思いもよらない形で歩んでいくでしょうと語った。
 さらに井上神父の童話『小雀健チャン』の一部を朗読し、井上神父との、また「風の家」との出会いをいただいた私たち一人一人が、それぞれどのような役割を与えられているのか、祈りのうちに思い巡らしたいと結んだ。 
 続いて若松さんの「南無アッバの道、南無アッバの祈り」と題した記念講演が行われた。井上神父の「南無アッバの祈り」の中で言う「生きとし生けるもの」とは、「私が気付かない、私を支えてくれているもの」であり、それは生者か死者か、知人か否かを問わない存在だと説明した。井上神父は生前、多くの詩も残している。9年前から詩を書くようになった若松さんは、井上神父は「見えない存在(生きとし生けるもの)に、手紙を送るように詩を書いていたのではないか」と想像していると言う。
 若松さんはまた、井上神父が書いた複数の詩を朗読した。その一つは、イエスのまなざしを通して世界を見たいと願う、井上神父の信仰の核心が表れた全詩集の題でもある「イエスの見た青空がみたい」。「南無アッバ」は、最後の最後、語ることができなくなっても神を求める井上神父の魂から出てきた尊い祈り。私たちも頭ではなく、魂から口にすることができたらと講演を結んだ。

若松英輔さん

 座談会には、若松さんの他に、著作やSNSで福音を発信している片柳神父、真生会館カトリック学生センターwakage(ワカゲ)リーダーの小宮一航(いっこう)さん(上智大学大学院神学研究科院生)と、『キリスト教の核心』などの著作のある山本芳久さん(東京大学教授)が登壇した。

座談会で登壇した(写真奥右から)若松さん、
片柳神父、山本芳久さん、小宮一航(いっこう)さんと
司会の山根さん

 3年前に「風の家」と出会い、昨春に受洗した小宮さんは、次のように話した。
 心に余白がなく自分を追い込んでいる周りの人に、アッバの温かな懐に抱かれる喜びが、自分が「おみ風さま」(聖霊)の吹き抜ける場となることを通して、届いていくような生き方ができたらと願っている。井上神父が「風の家」に掲げた「己を風(プネウマ)に委せきってお生きなさい」(ガラテヤ5・16)の心を生きていきたい。
 19歳の時に井上神父と出会った山本さんは、信仰の疑問に同じ土俵で誠実に寄り添ってくれた思い出を語り、井上神父が唱えた「南無アッバ」の祈りに言及した。「南無」(身を委ねる)はインド由来の言葉で、イエスが御父を呼ぶ時の「アッバ」(お父ちゃん)はアラム語。「南無アッバ」の祈りは、単に日本的キリスト教というのでは捉えられない豊かなものを遺してくれたのではないかと問いかけた。
 祝会では、創設当時を知る人らが「正直」「酒好き」「怒ると怖い」など、井上神父の人間味あふれる人柄を思い起こした。

 「明るい日」が差した

 40年前から「風の家」で青年たちのサポート役に回っていた野町裕さん(91/千葉・習志野教会)は、かつての青年たちが語らう姿に目を細め、こう話した。
 「皆が集う場ができたことが、素晴らしい。みんな立派になって(福音を伝えていて)、うれしいですね」
 長崎の潜伏キリシタンの家系に生まれた山口真穂さん(33/神奈川県在住)は、幾つもの井上神父の言葉に触れ、「弾圧のつらい記憶や、信仰を守る義務」が強調される土地で育った自身の心に「明るい日」が差したように感じたと振り返った。

祝会の終わりに、井上洋治神父の遺影(写真左)の前
で参加者に感謝を述べる山根道公(みちひろ)さん

  • URLをコピーしました!
目次