【ローマ6月22日CNS】街中を通る「キリストの聖体」の行列でイエスをお運びして、キリスト信者は自らの目に見えるたまものと霊的なたまものを分かち合うことによって、主の愛を証しすることを求められている、と教皇レオ14世は指摘する。
聖体行列によって、「私たちは主を人々のまなざしの前に、人々の良心と心に示します。信じる人の心に示すことで、より強く信じてもらうためです。そして、信じない人の心に示し、心の奥底にある飢えと、パンだけがその飢えを癒やすことができることに気付いてもらうためです」と教皇は6月22日、「キリストの聖体」の祭日のミサ説教で説明した。
教皇レオ14世はローマのラテラノの聖ヨハネ大聖堂前で夕べのミサをささげ、その後、最近「初聖体」を受けた子どもたちを含む数千人と共に、市内のメルラーナ通りを経由して1・6キロど離れた聖マリア大聖堂までの聖体行列を行った。
教皇は祝福された聖体を納めた聖体顕示器をエルサレム聖墳墓騎士団のメンバー8人が掲げる金色の天蓋(てんがい)の下で運んだ。約45分後に行列が聖マリア大聖堂前に着くと、教皇は聖体賛美式を挙行した。
主のからだは永遠のいのちのパン
当日のミサの福音箇所は、「ルカによる福音書」のイエスが五つのパンと二匹の魚を増やして群衆に配らせたことを伝える一節だった。
「飢えを訴える声に、主は分かち合いのしるしで応えます。目を上げて天を仰ぎ、賛美の祈りを唱えて、パンを裂き、そこにいる全ての人が食べるために与えます」(ルカ9・16参照)と教皇は指摘した。
「パンと魚を増やすために、イエスはそこにあったものを分けました。こうして全ての人が満たされただけでなく、余りさえしたのです。人々が食べ終わって満腹になった後、残りは12の籠に集められました」(17節参照)と教皇は続ける。
この福音箇所は人々の生きる意味と神と永遠のいのちへの飢えについて説いていて、その全てはイエスが全ての人の救いのためにご自身をささげる時に満たされる、と教皇は説明する。
ただ、この奇跡は群衆の物理的な飢えに対する共感の応答でもあった、とも教皇は指摘する。
「今日、福音に記された群衆に代わって、全ての人が自分たちの飢えよりも、他者の強欲によって屈辱を味わっています。多くの人の悲惨な困窮を前にして、少数の人が蓄財することは無関心の傲慢(ごうまん)を表すしるしで、苦しみと不正義をもたらしているのです」
教皇レオ14世はこう続ける。「特にこの聖年において、主の模範は私たちにとって行動と奉仕の緊急の基準となります。私たちは、希望こそを増やし、神のみ国の到来を告げ知らせるために、パンを分かち合わなければなりません」
「親愛なる皆さん、キリストは人間の飢えに対する神の応答です。主のからだは永遠のいのちのパンだからです」と教皇は強調する。
「私たちが、生きたまことのパンであるイエスによって養われるとき、私たちはこの方によって生きるのです。十字架につけられて復活した方は、ご自身を全てささげながら、私たちにご自身を委ねます。こうして私たちは、自分が神に養われるために造られた存在であることを見いだします」と教皇は付け加えた。
