関東大震災から103年 キリスト者追悼祈祷(きとう)会 地震後の中国人虐殺事件について学ぶ

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関東大震災から103年 キリスト者追悼祈祷(きとう)会 地震後の中国人虐殺事件について学ぶ

「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺犠牲者103年 キリスト者追悼祈祷(きとう)会」が8月30日、東京都文京区の富坂キリスト教センターで開催された。NCC(日本キリスト教協議会)東アジアの和解と平和委員会(委員長・飯塚拓也牧師/日本基督教団)が呼びかけ、日本キリスト教会、日本カトリックいのち・平和・人権委員会、日本聖公会正義と平和委員会など20余りの教会・団体の賛同によって、例年行われている集い。
 今回はキリスト者の王希天(ワン・シーティエン/享年27)ら中国人が犠牲となった震災後の虐殺事件について学び、祈りを深めた。オンラインで集いを視聴した33人を含め、70人が参加した。

会場風景
 他者の苦しみを知り、共感する

 集いで朗読された聖書箇所は、悲しむ人と共に悲しむことをしない「今の時代」の人々についてイエスがたとえを語る、ルカによる福音書7章31~32節。
 朗読後の「メッセージ」は、在日大韓基督教会のキム・ビョンホ(金柄鎬)牧師が担当し、他者の苦しみを知り、共感することの大切さについて話した。
 集いでは今まで朝鮮人の虐殺について学んできたが、今年は初めて中国人の虐殺に焦点を当てて学んだ。
 講師を務めたのは、「関東大震災下で虐殺された中国人労働者を追悼する会」共同代表の林伯耀(リン・ポーヤオ)さん。林さんは在日中国人2世としての立場から、「王希天と関東大震災下の中国人虐殺事件」をテーマに話した。

講師の林伯耀(リン・ポーヤオ)さん
 震災前から排斥されていた中国人

 林さんの父親は、貧しい小作人の家の一人息子で、日本に住む中国人を頼って1913年に渡日した。
 日清戦争(1894~95年)で勝った日本は当時、清(中国)から得た多額の賠償金で「景気は良かった」。事実上、清の財政や経済の主導権も握るようになっていた。林さんによれば、韓国併合(1910年)以降、日本の支配下で共に苦しんでいた「朝鮮人のきょうだいたち」も日本へ働きに来ていた時代だ。
 「関東大震災後に起きた虐殺の歴史的背景は、朝鮮人と中国人で共通しています。しかし中国人は、震災前から官民一体での排斥を受けていた点で、朝鮮人のきょうだいたちと違う」と、林さんは次のように説明した。
 大震災前まで、日本にとって中国人は都合のいい労働力だった。「日本人の賃金が100円なら、朝鮮人は70円、中国人は50円」。日本側の「手配師」は、不法就労をさせてでも中国人を使っていたため、中国人労働者の大半が不法労働者だった。
 だが第1次世界大戦後の軍需景気が1920年に終わると状況は一変、中国人は日本人の仕事を奪う存在として危険視される。
 一方、大陸側では反日運動が盛んだった。中国で反日運動の要因となったのは、①日清戦争(甲午戦争/1894年)で日本軍が行った「旅順大虐殺」、②敗戦後に課せられた台湾の割譲と莫大な戦争賠償、③日露戦争(1904年)後の大連・旅順の占拠、③1915年、大隈重信内閣が中国に突き付けた「二十一カ条の要求」、④第1次世界大戦後にドイツが中国(山東省)に持っていた利権を日本が引き継いだこと等だった。
 民衆は日本による侵略と植民地化政策に反発し、日本製品(日貨)をボイコットする大規模な日貨排斥運動が各地で起きた。日本の植民地支配下にあった朝鮮でも19年、「3・1独立運動」が起きている。
 こうした中国民衆の反日抗日の動きに対し、日本人の間では中国人に対する憎しみも募っていた。
 そこへ発生したのが、23年9月1日の関東大震災だ。午前11時58分、林さんの父親は東京・市ヶ谷の刑務所に捕らえられていた同郷の仲間を訪問中、地震に襲われたという。
 当時、浅草に住んでいた父親は、震災の晩、日本人たちが「朝鮮人が放火している」と話しているのを聞いた。「朝鮮人に起きたことは、次に中国人にも起こる」と直感し、京橋、東京を経て警視庁へ保護を頼みに行った。その場で自警団が「“ちゃんころ”(中国人に対する差別語)がいる! 捕まえろ!」と叫ぶ声も聞くが、憲兵隊に書いてもらった通行証を手に、東京を脱出することができた。
 「(当時について)『怖かった』とおやじは言っていました」

 キリスト者・王希天の虐殺

 林さんはまた、関東大震災後に虐殺された中国人留学生・王希天について話した。

会場に掲げられた
王希天の写真

 王は敬けんなキリスト者であると同時に、「愛国の志士」でもあった。18年の「日華共同防敵軍事協定」締結への反対運動で中心的な役割を果たし、官憲から排日運動のリーダーと見なされる。
 王は、社会の改革にも関心を抱いていた。王が交流を深め、影響を受けた人物には社会的弱者の救済を唱える救世軍の山室軍平、労働者の組合運動や農民運動を組織し、極貧層の人々が集住する地域の救援や廃娼運動を唱えたキリスト者の賀川豊彦らがいる。
 大震災前年の22年9月、現・東京都江東区大島(おおじま)町では、中国人労働者の排斥運動に強い危機感を抱いた王らの呼びかけで、中国人労働者の生活を守るための労働組合(中華民国僑日労働同胞共済会)が発足した。
 中国人労働者は日本の政府や労働者から危険視されていたが、その権利保護に奔走したのが王だ。王は労働者に代わって未払い賃金の要求やピンハネの制限、労働条件の改善などを訴え、このために資本家や人夫頭、警察からも憎まれたという。
 そうした状況も背景に、大震災後の9月3日から4日にかけ、大島町とその近辺で400人以上の中国人労働者が虐殺された。
 この「大島町事件」の被害者の多くは、中国・浙江(せっこう)省温州(おんしゅう)の貧しい地域から来た労働者だ。加害側は軍、警察、在郷軍人会、自警団、労働現場の監督である「人夫頭」(にんぷがしら)、そして日本人労働者ら大衆で、凶器は銃、刀、鉄棒、おの、鳶口(とびくち)、竹やりなどだった。
 林さんは資料を基に、虐殺が計画的・組織的に行われたことを説明。事件の犠牲者の遺体は9月5日以降に焼却され、その焼却された遺体は警察によって持ち去られていると語った。
 王が虐殺されたのは、同月12日だった。同日午前3時、王は現在の江東区と江戸川区(ともに東京都)の間にかかる逆井(さかさい)橋の下で、陸軍の旅団司令部同意のもと、日本兵によって斬殺された。
 警察は付近の住民に対し、厳しいかん口令を敷いた。さらに山本権兵衛総理を含む5大臣は、震災2カ月後の11月7日、「王希天問題と大島町事件は徹底して隠蔽(いんぺい)すること」を決定した。
 林さんは、日本政府が大震災下の朝鮮人・中国人虐殺事件について「資料がない」ことを理由に政府の見解を一切表明せず、責任を回避し続けている現状を問題視する。こうした政府の姿勢は「歴史の隠ぺい」であり、いま勢いを増している民族排外主義の「見えない源泉」になっていると指摘した。

 心を新たにする場

 集いの最後には、「宣言文」が読み上げられた。
 この宣言文は、韓国の国会で2025年12月に「関東大震災朝鮮人犠牲事件の真相究明および犠牲者の名誉回復に関する特別法」が成立し、今年12月までに真相究明委員会が組織されることに言及。日本政府は大震災後の虐殺事件の真相究明を「無視」してきたが、韓国からの訴えによって、いま「新たな展開を迎えようとして」いると述べる。
 またキリスト者として現代日本の差別と排外主義に抗い、多文化・多民族共生社会の実現に努めていくと決意表明している。
 この集いは2023年9月3日、NCC東アジアの和解と平和委員会が、虐殺から100年の節目に都内で開いたキリスト者追悼集会を基に始まった。
 集会では大震災当時の教会の在り方が問われ、「虐殺から目を背け、逃げる朝鮮人・中国人を守ろうとしなかった罪」を告白しなければならないことを、参加者が心に刻む場となった。同委員会は以後も追悼祈祷会として集いを続けている。  
 同委員会の委員で日本基督教団信徒の比企能哉(よしや)さん(52)は、「世界のどこにいても皆が平等に平和に生きられる社会の実現」を願い、今年も参加。この集いは「(大震災当時、虐殺に対して“沈黙”をした教会の)罪を思い起こし、同じ過ちを繰り返さないと、心を新たにする場だと感じた」と話した。 

集いには中国の著名な写真家 張国通(チャン・グォト
ン)さん(中)も参加。関東大震災後の虐殺事件を取材し
てきた張さんは、今年完成させた自身の写真集『百年沉
冤 百年警示』を日本キリスト教協議会議長の吉髙叶(よ
したか・かのう)牧師(日本バプテスト連盟/左)に
贈った。書名の「百年沉冤」(ひゃくねんのちん〈沈〉
えん)とは長い年月の間、晴らされることなく埋もれた
ままとなっている冤罪やぬれ衣を意味する中国の言葉

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