「聖フランシスコ帰天800年の集い」 聖人の回心に触れる講演・秘跡・ミサ
フランシスコ会日本聖殉教者管区(管区長・桑田拓治神父)は10月12日、東京・大田区の田園調布教会で「聖フランシスコ帰天800年の集い」を開催した。
「アッシジの聖フランシスコ特別聖年」(2026年1月10日~27年1月10日)に合わせ、日本のフランシスコ会が公式行事として行った集い。講演、全免償を受けることのできるゆるしの秘跡と、駐日教皇大使フランシスコ・エスカランテ・モリーナ大司教主司式による記念ミサが行われた。
関東圏から同会会員や聖フランシスコの精神を生きる修道会の修道女や信徒ら500人を超える人が参加。フランシスコを平和の証し人へと導いた回心の恵みを思い、祈った。

記念行事の頂点へ
全世界のフランシスコ会は、フランシスコの没後800年に向けて2023年から記念行事を行い、聖人が亡くなるまでの3年間に起こった重要な出来事の節目を祝ってきた。
最初の2023年は、フランシスコが書いた会則を教皇が認可し、またグレッチョで最初の馬小屋を製作した1223年から800年に当たる。2024年は、両手・両足と脇腹に聖痕(こん)を受けた1224年から800年。2025年は、被造物の聖なる美への賛歌である「太陽の賛歌」の作成から800年。
そして2026年はアッシジでの死(1226年10月3日)から800年に当たり、一連の記念行事の頂点と完成を示す年とされている。今年1月、教皇レオ14世は聖フランシスコの没後800年を祝って特別聖年を公布した。
特別聖年の間、カトリック信者は、通常の条件(①ゆるしの秘跡②聖体拝領③教皇の意向による祈り)の下に全免償が与えられるが、さらに全世界のフランシスコ会系の教会への巡礼や、貧しい人、家から出られない人による霊的な巡礼への参加も、特に条件に加えられている。
同会の阿部慶太神父は、2023年から毎年、800年の節目ゆかりの地などを巡礼した。今回の集いでは、4年間の巡礼を基に「聖フランシスコの道の解説」と題して講演。自身が訪れたアッシジ、フランシスコが聖痕を受けたラ・ベルナ山、会則を書いたフォンテコロンボなどの写真50枚余りをスクリーンに映して紹介し、平和の真の源泉を示すフランシスコの生涯を振り返った。

場所」の写真を写しながら話す阿部慶太神父(左奥)
フランシスコの回心
二つ目の講演は、同会の古里慶史郎神父が「聖フランシスコの死から読み解く太陽の賛歌」をテーマに行い、聖人がその生涯を通じて「いかに神と一つになろうとしたか」を紹介した。
古里神父は、聖人が最晩年に兄弟たちに語ったという遺言を取り上げた。遺言によれば、フランシスコが生涯で最も心に残った体験とは、かつて騎士を志していた頃にハンセン病患者との出会いから得た最初の回心だったという。
古里神父は、フランシスコの回心がどのようなものであったかをつかむことができるよう、小説『アッシジの聖フランシスコ』(Jоan Мueller〈ジョアン・ミューラー〉著/未邦訳)を引きながら次のように紹介した。
それまでのフランシスコにとって、重い皮膚病を患うハンセン病患者は「この上なく嫌悪すべき」存在だった。だがある時、心の内に、「苦いものは甘くなり、甘いものは苦くなる」という声が響く。得体の知れないその声を思い起こしながら過ごす中、フランシスコは「主ご自身が私を彼らの元に遣わしてくださった」ことを次のように知る。
ある日、目の前にハンセン病患者が現れた。顔面や腕は傷み、傷口を覆う包帯は膿(うみ)で「黄ばみ」、におった。フランシスコはその場から逃げ出すはずだったが、自らその患者に施しを与え、その手に口づけをした。ハンセン病者は自身にとって「内的」にも「外的」にも「苦いもの」のはずが、「甘美なもの」となっていた。フランシスコは、自身に語りかけていた声の主(ぬし)がハンセン病者の中におられるイエスだったことに気付く。
古里神父は、「ここで大切なのはフランシスコが死ぬ間際まで回心を忘れず、その回心を自身の亡き後、兄弟たちに一番先に思い出してほしいと考えたこと」だと思うと話した。

古里神父はまた、「太陽の賛歌」を歌い、遺言を語り始めた晩年のフランシスコについて、紹介した。
当時のフランシスコは「主イエスと一体になりたい」という願いに突き動かされ、1年の3分の3に相当する期間、断食を行い、「体がぼろぼろだった」と言われている。壮絶な痛みをもたらし続けた聖痕は、神からフランシスコに与えられた「イエスとの一致のしるし」だったのではないかと古里神父は話した。
晩年のフランシスコは、「病を(いとおしく)抱きしめる」かのように暮らし、その姿はまるで「ヨブのよう」だった。ヨブは全てを奪われ、全身に苦痛を抱えながらも、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(ヨブ記1・21)と創造主を賛美した。
実際、フランシスコは自らを「被造界のちりの一つ」として、自身の全てを神に「お返しする」ことを願った。フランシスコは最期に修道服すらも脱ぎ、裸になって地面に横たわった。イエスが十字架上で「成し遂げられた」と言って息を吐き出されたように、自身に与えられた息をも創造主に「お返しした」。
神から一方的に与えられた回心、神のあわれみによって、「イエス様が大好きであることを貫いた」聖フランシスコの人生。古里神父は、私たち一人一人がフランシスコの人生に倣って宣教を進めていくことができるようにと願い、講演を結んだ。

ゆるしの秘跡を含めた集いに
今回、集いの準備を担当した同会のアントニオ金東炫(キム・ドンヒュン)神父(フランシスコ会日本聖殉教者管区 広報部長)によれば、この集いは「(単なる)イベントではなく、巡礼地に行けば必ず受けるゆるしの秘跡を含めたものにすべき」だと考えたという。
そこで金神父は全免償を受けることができる条件を備えた集いとして集いを企画し、ゆるしの秘跡は司祭10人が担当した。当日はゆるしの秘跡を希望する参加者が多かったため、その後の記念ミサの開始時間を予定よりも約1時間遅らせる対応もした。
記念ミサに先立ち、聖堂前庭の聖フランシスコ像の前で記念の式典が行われた。駐日教皇大使モリーナ大司教は聖フランシスコの祝日(10月4日)固有の祈願を唱え、参加者は大司教を先頭に盛儀の入堂式を行った。

聖堂に入堂する記念ミサの参加者たち
モリーナ大司教はミサ説教で、フランシスコが証しした平和と喜びについて、次のような説教を英語で行った。
聖フランシスコは「平和と和解のメッセージ」、私たちの「共通の家」である自然を尊重する愛、そして全ての人への愛を通して、キリストの十字架の愛に根差す平和を生き、証しした。
フランシスコは天地(自然・宇宙)の全てを祈りと賛美へと招く「イエスの祈り」に呼応し、被造物を深く敬い、「太陽の賛歌」を歌った。この賛歌で証ししたのは、自然と創造の尊厳を守る必要性、言い換えれば被造物を操作・破壊するのではなく、むしろ被造物が成長し、本来の美しさに近づくよう助けることの「必要性」だ。
そのため大司教は、私たちは被造物を、そして全ての人間を尊重するように招かれていると、前教皇フランシスコの言葉を基に語り、「世界中で(暴力や戦争によって)泣き、苦しみ、死んでいく人々の叫びに耳を傾けましょう」と呼びかけた。
大司教はまた、フランシスコが私たちに伝える平和とは、十字架の愛から生まれる「キリストの平和」だと指摘。それは復活されたイエスが、弟子たちの真ん中に立たれた時に与えられた平和であり、「互いに愛し合いなさい」というキリストの「くびき」(戒め)を担う者たちによって見いだされる平和だという。
最後に教皇ベネディクト16世の講話を引き、次のような祈りへの招きで説教は締めくくられた。
いかなる時も「喜び」にあふれていたフランシスコの生涯は、聖性(神に近づくこと)こそが「真の幸福の秘訣(ひけつ)」であることを証ししている。主から聖性のたまものが与えられるよう、私たち自身をフランシスコが深く愛した聖母に「委ねましょう」。

聖人の回心に驚き、受洗
ミサ後は交流会が行われ、参加者は田園調布教会の信者らが準備した料理や飲み物を手に歓談した。
マリアの宣教者フランシスコ修道会の細渕則子修道女は、「司祭から修道者、信徒、大人から子どもまで皆で集まり、フランシスコが示した、全ての人への愛を感じた」と喜びを語った。
同教会の教会委員長、高瀬信彦さん(68)は、「横浜の中華系の方など、他の教会(小教区)からも参加がありました。コロナ禍以降、ミサ参加者が半減していますが、今日は久しぶりに会衆席が埋まり、準備を頑張って良かった」と話す。
在世フランシスコ会会員の加藤祥子(しょうこ)さん(62/田園調布教会)は、かつてフランシスコの回心のエピソードに衝撃を受け、心の中の「壁」が崩れたのを感じて洗礼へと導かれたという。この日はフランシスコが最期に示したような、「手放していく」生き方への促しを感じたと語っていた。
