宋栄淳ソンヨンスンさん 韓国政府から表彰 教会と共に祖国民主化に貢献

父への表彰状を手にした宋正彬ソンジョンビンさん(ご本人提供)

 在日韓国人のカトリック信徒、ソンヨンスンさん(1931~2004年)が今年6月10日、祖国の民主化に貢献した功績によって、韓国政府から表彰された。当日は、韓国政治の転機となった1987年6月10日の「民主抗争」から39年目に当たり、表彰式はソウル市の民主化運動記念館で行われた。主催は韓国政府の行政安全部。栄淳さんの息子、ジョンビンさん(65/東京・高円寺教会)が故人に代わって国民勲章を受け取った。

 韓国で軍事独裁政権による社会問題が特に深刻化していた1970~80年代、経済発展の陰で、農村の貧困や、労働者の劣悪な労働環境が広がっていた。現状に抗議する人々を、政権側は拘束、拷問、不当な裁判などの手段で弾圧し、また過酷な言論統制を敷いた。
 韓国国内で公にできない現状を何とか明るみに出そうと、命懸けで窮状を書き記した人々は、その手紙を主にキリスト者に託した。手紙は、外国人聖職者らによって国外に持ち出され、日本で栄淳さんらの翻訳を経て発信。やがて87年の民主化宣言につながった。

 韓国から栄淳さんの元に届いた手紙は、合わせて約200通、段ボール10箱分におよぶ。栄淳さんが亡くなった後、正彬さんがその原本を見つけた。
 「父が生前、『ここは開けるな』と言っていた所に、ずっしりと、きちんと整理して置かれていました」
 韓国では危険なために残しておけなかった手紙を、日本にいた栄淳さんは大切に保管していた。手紙の約8割は、韓国の民主活動家キム・ジョンナム氏(金正男/現在83歳)から届いたもので、その後韓国に送られ、現在は研究者の手に委ねられている。

 栄淳さんは1931年に韓国で生まれ、10代半ばの頃、日本に留学していた兄の勧めで来日した。しかしその兄は、終戦間近の太平洋戦争で日本兵として沖縄戦に召集され、戦死してしまう。栄淳さんは、苦学して大学と大学院(修士)を卒業。在日2世のカトリック信徒の女性と知り合い、結婚の条件とされた洗礼を受けた。妻となったのは、後に韓国の教会で民主化運動の象徴的存在となるキム・スーハン(金寿煥)枢機卿の、めいに当たる女性だった。

 活動を支えた人々の絆

 73、74年になると、軍事政権に反対するカトリックの政治家キム・デジュン(金大中)氏が東京で拉致されるなど、教会と日本にも関連する事件が相次いだ。その一つに、民主化運動を支えていた池学淳(チ・ハクスン)司教の逮捕があった。
 当時の日本の司教協議会会長、白柳誠一大司教(後の枢機卿)は、チ司教や、キム枢機卿と同じローマの大学で学んでいた。しかもチ司教は拘束される直前、海外からの帰りに東京大司教館に立ち寄って白柳大司教と会っている。
 74年7月、チ司教が逮捕されると、白柳大司教は、同年に発足したばかりの日本カトリック正義と平和協議会(正平協)の第1回例会でこの事件を報告。正平協は記者会見を開いて初めての声明を出した。声明は、チ司教逮捕だけでなく、キム・デジュン氏のへ拉致事件以降の束縛や、政権を批判・風刺する作品を書いたカトリック詩人キム・ジハ(金芝河)氏らへの死刑求刑も含め、韓国政府による人権侵害に「強く抗議」した。正平協の初代担当司教、相馬信夫司教もその動きに加わっていく。
 チ司教と親しくなっていた栄淳さんも、司教逮捕の知らせに驚き、この時から、栄淳さんが翻訳した文書が正平協を通して発信される流れが始まった。
 正平協はその後、たびたび韓国に関する声明を発表し、冊子も毎年発行している。研究者の古屋敷かず修道女(援助修道会)によれば、それらの中には日本の大手メディアが取り上げたり、世界80カ国の正平協に送られたりした文書もある。また韓国に届けられ、政治犯の裁判で証拠として使われたものもあった。栄淳さんが正平協の幹事を務めていたこの当時、記者会見の際に韓国政府から圧力がかけられたこともあり、活動は「危険と隣り合わせ」だったという。

 チ司教の逮捕は、韓国でも当然、重く受け止められ、キム枢機卿が当時のパク・チョンヒ(朴正熙)大統領に抗議したほか、若い司祭たちは社会正義の実現を求めて「正義具現司祭団」を結成した。
 当時、日本の正平協で初代事務局長を務めた深水正勝神父(88/東京教区)は、「正義具現司祭団」創立メンバーの一人、ハム・セウン(咸世雄/87)神父と共にローマで学んでいた。
 深水神父は、ローマでのハム神父が日本人と交流しようとしなかったことを覚えている。「日本人は、自分たちから国も、言葉も、文化も奪った」というのがその理由だった。
 二人がそれぞれ母国に帰った後、民主化のため活動したハム神父もチ司教に続き韓国で投獄される。それを新聞で知った深水神父が驚いてハム神父に手紙を送ると、二人の間に新たな交流が始まった。その後、深水神父はほぼ毎年、韓国を訪れるようになったと語る。

深水正勝神父

 「当時、キム枢機卿がいたミョンドン大聖堂の事務所には、『息子がKCIA(当時の韓国中央情報局)に捕まった』とか、『デモに行って戻らない』という親たちが次々と相談に来ていて、ハム神父たちがその話をずっと聞いていました」。ある時は、「遺体の死因が拷問か否か見分けるために、人体解剖の本がほしい」と依頼され、深水神父は写真入りの専門書を日本で入手し、届けたこともあった。

 「犠牲は愛の美しい形」

 正彬さんは、子どもの時と学生時代に2年ずつ、軍事政権下の韓国で過ごした経験を持つ。
 「日本では民主主義や言論の自由が、どこにでも転がっているようでありがたみを感じていませんでした。でも一度それを失った社会を経験すると、本当に怖いんですよ。感じるんです。社会が暗いのを。人と会うのが怖くなる。人を信じられなくなるんです」
 一方で正彬さんは、生前の父と、父が親しくしていた人たちとの関わりに、うらやましいほどの深い信頼関係を感じたという。
 「皆さん、人の幸福のために犠牲になることを惜しまない。むしろ当然だと思っていました。犠牲は愛の一つの美しい形ですが、それをちゃんとやってきた人たちですよね。そういうものが、活動を支えたのだと思います」

 今回の表彰式には、深水神父も臨席した。招いたのは、ハム神父だった。深水神父は式に出て「感動した」と話す。
 「主賓として韓国の首相がスピーチし、その隣にハム神父が座りました。こういう時代になったのだなと改めて感じました。式では、韓国の人たちが民主主義のために命を懸けた人々を深く尊敬し、記念し続けていることが分かり、感動しました。韓国のように、民衆の一人一人が力を合わせて勝ち取った民主主義を、僕たちはもっと学ぶ必要があると思います」

左からハム・セウン神父、チ・ハクスン司教、そんヨンスンさん。1985年、韓国で撮影(宋正彬ソンジョンビンさん提供)
表彰式会場で父・栄淳さんの功績を記したパネルと並び、表彰状を手にした正彬さん。表彰状には、「元 日本カトリック正義と平和協議会幹事 故 宋栄淳」氏に対し、民主化運動を通じ国家社会の発展に貢献した功労をたたえる旨が書かれている。贈り主はイ・ジェミョン大統領(宋正彬さん提供)
東京の宋さんの家を訪れたキム・スーハン枢機卿(前列右)。キム枢機卿は日本に来る機会には宋さんの家に宿泊し、束の間の休日を過ごすことがあった。枢機卿が抱いているのは栄淳さんの孫で正彬さんの息子。96年撮影(宋正彬さん提供)
表彰式の同日、ソウルの聖公会大聖堂で行われた式典の式次第表紙。使われている写真は、韓国の民主化運動を象徴する1987年6月の報道写真「ああ、わが祖国」
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