年間第16主日 7月19日 マタイ13・24-43または13・24-30 そのままに

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年間第16主日 7月19日 マタイ13・24-43または13・24-30 そのままに

 今日の福音の種まきの話などでは「人にはよい人、悪い人がいる。私たちの心には、よい心、悪い心がある」と私たちを主人公として解釈してしまいがちですが、福音を読むときには、誰が主人公なのかが大切です。福音の主人公はイエス様です。

 私たちは今までと違う、いつも通りではない、普段の生活を乱すもの、それらを非常に恐れてしまう時があります。この普段通りを壊すものを毒麦と決め付ける。この毒麦のせいで、私のいつも通りが乱された。だから、普段の生活を壊す毒麦を私たちはすぐに抜き取らないといけないと。
 イエス様は生まれてすぐにいのちを狙われます。自分たちの今まで通りを壊す者として。イエス様は必要とされず、排除されそうになります。他の箇所でもイエス様は何度も「受け入れてはいけない、必要のない存在」とされています。

徴税人や罪人の仲間だと非難される(マタイ9・9-11)
悪霊の力を使っている(同12・22-24)など。

 今日の福音のすぐ後にもつまずきとして故郷、家族に受け入れられないイエス様の姿(同13・53-58)があります。誰かを悪者(毒麦)として自分たちに必要のない存在として決め付けてしまう言葉と行い。「あなたはわたしにとって必要のない人です」と決め付けることはイエス様のお伝えになられる福音(よい知らせ)ではありません。

すべてに心を配る神はあなた以外におられない。(知恵の書12・13)

 毒麦を抜こうとする者に、「育つままにしておきなさい」(マタイ3・30)と主は言われたとあります。この「そのままにして」は6章9節から13節、「主の祈り」の「赦してください」と同じ単語です。ゆるす、ゆるさないという意味だけでなく、「そのままにしておいてはどうですか?」「そのまま行かせてあげなさい」と私たちの心をやさしくする言葉です。「そのまま受け入れる」ことは神様のお望みであって、私たちにとって毎日ささげる祈りです。 

 神に従う人は人間への愛を持つべきことを、あなたはこれらの業を通して御民に教えられた。(知恵の書12・19)

 必要とされず、受け入れられない、命まで奪われようとされているイエス様を、マリア様とヨセフ様は命懸けでお守りになられました。
 人は皆、大切にされる必要な存在です。
 あなたが気に入らなくても「そのままにしておくことはできないの?」と聖家族は私たちに今日も語りかけておられます。
(寺浜亮司神父/福岡教区 カット/高崎紀子)

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