日韓脱核平和巡礼と懇談会 在韓被爆者を訪問 連帯13年の実りも

目次

日韓脱核平和巡礼と懇談会 在韓被爆者を訪問 連帯13年の実りも

 核兵器や原発のない世界の実現を目指す「日韓脱核平和巡礼と懇談会」が6月29日から7月2日まで4日間、韓国で行われた。日韓の教会がこの名称で例年催していた公式巡礼(共催=韓国司教協議会生態環境委員会、日本司教協議会旧・正義と平和協議会)は2024年に終了したが、今回は特別に従来の巡礼に倣うプログラムで韓国の教会が主催した。
 開催テーマ「平和と核―正義に基づく平和、記憶から学ぶ」の下、日本側は今春新設された「日本カトリックいのち・平和・人権委員会」委員長の森山信三司教(大分教区)、講師を務める松浦悟郎司教(名古屋教区)と信徒ら17人が参加。韓国側の27人と共に「韓国のヒロシマ」として知られる町ハプチョンを訪れ、在韓被爆者と出会った。日韓の連帯13年の上に、一人一人が平和の担い手としての思いを新たにした。

1. 痛みを共有 希望を見いだす現場
2. 日本側の組織改編 日韓13年の連帯 その先へ

韓国・陜川(ハプチョン)の原爆資料館(正面奥)を見学した
巡礼参加者と、一行を案内した資料館館長ら在韓被爆者たち

1 痛みを共有 希望を見いだす現場

 今回の巡礼も日韓の教会が共催していた公式巡礼のように原発立地地域を訪れ、住民や専門家の話に学び、ミサをささげた。
 韓国では巡礼直前、原発の建設や運用を担う公営企業「韓国水力原子力」が新規の大型原発と小型モジュール炉(SMR)の建設候補地を、原発が密集する東沿岸の2カ所に確定した。これを受け、現地学習の訪問先に急きょSMRの建設候補地となった釜山市機張(キジャン)郡も加えられた。

  「韓国のヒロシマ」での出会い

 巡礼2日目は、「韓国のヒロシマ」と呼ばれる韓国南東部の町陜川(ハプチョン)を訪れた。町には日本で被爆した朝鮮半島出身者とその子孫が多く、大韓赤十字社によれば、生存している被爆者1540人中、225人が陜川に住む(2025年)。
 一行は日本人の有志個人が原爆犠牲者のために建設したという慰霊閣を訪れ、祈りをささげた。この慰霊閣には現在、陜川出身者以外の被爆者も含む1872人の位牌が納められ、毎年8月6日に慰霊祭が行われている。
 原爆資料館や、被爆2世の憩いの場である「平和の家」も訪問した。
 被爆者が生活する原爆被害者福祉会館では被爆者と被爆2世、計3人の話に耳を傾け、交流した。

原爆被害者福祉会館前で一行を
迎え、挨拶するシム・ジンテさん

 シム・ジンテさん(83)は1945年8月6日、2歳の時に広島で被爆した。当時、弟を妊娠していた母親と共に即韓国へ向かったが、厳しい山越えもあり、韓国の家に戻ることができたのはその年の12月頃だったと話した。
 シムさんは2001年、日本政府に在韓被爆者への謝罪を求めるなど被爆者の救済に取り組む韓国原爆被害者協会支部の陜川支部長に就任。被爆2世の苦しみにも寄り添ってきた立場から、最大の問題は「被害者はいるが、加害者がいないこと」だと指摘した。
 シムさんは、「原爆を不法に投下した米国からも、(当時、朝鮮半島を支配していた)日本からも何の謝罪もありません」。しかもこの状況に、韓国政府は「何の反応も示さない」のだと訴えた。

被爆者として思いを話すシムさん

 森山司教は、「被害者はいるが、加害者がいない」というシムさんの言葉が心に残ったと語り、戦争をした私たち日本は「加害の側」だと指摘。被爆1世に限らず2世、3世の人たちの苦しみを知り、「日本も共に歩んでいきたいと思う」と結んだ。
 生態環境委員会会長を務めるパク・ヒョンドン大修道長(聖ベネディクト会倭館〈ウェグァン〉修道院修道院長)は、韓国でもあまり知られていない在韓被爆者の状況を知り、心で重く受け止めたと、こう話した。「これまで(陜川を)訪れることができず申し訳なく思います。今後は関心を持ち、連帯していきたい」

 「共に生きる世界」をつくる

 集いは日韓の参加者代表が感想を述べて終わる予定だったが、日本側の提案で、今回初めて巡礼に参加した宮下玲子さん(56/宮崎・南宮崎教会)が代表して、「日本からの心」を伝える時間も設けられた。

被爆2世のハン・ジョンスンさん(左)
の隣に立ち、思いを語る宮下さん

 宮下さんは2011年の福島第1原発事故後、当時2歳だった息子の健康被害が心配になり、仙台から宮崎へ移住した。「原子力や核に自分の人生を変えられた」者の一人として、この日、在韓被爆者の尊厳を懸けた闘いの苦難を感じたと話した。
 また被爆2世として証言したハン・ジョンスンさん(韓国原爆2世患友会会長)との会話についても分かち合った。
 宮下さんは韓国語を話すことができないが、ハンさんが昼食中に障害のある人の食事介助に回るのを見て、「自分の体調のことだけでも大変なのに、なぜ(他者を)介助するのですか」と、スマホの翻訳アプリを駆使して尋ねた。するとハンさんは、「共に生きる世界をつくるために、一生懸命努力しています」と答えてくれたといい、「私も共に生きる世界をつくるために努力したいし、平和を実現していきたい」と新たな決意を語った。
 最後に、「本当に少しですが」と宮下さんが日本の参加者の間で集めた寄付をハンさんに差し出すと、ハンさんは喜んで受け取り、両腕を大きく広げて宮下さんと抱きしめ合った。
 ハンさんは宮下さんの言葉を受け、「平和へと続く道、(被爆者認定を求める日本人を含め、誰もが)抱えている苦痛を口にすることのできる社会を共につくりたい」と話した。

抱きしめ合うハンさん(左)と宮下さん

 韓国側のイ・オクブンさん(70)は、ハンさんと宮下さんの出会いに感銘を受け、「韓国の被害者と日本の加害者の抱擁は、日韓で続けてきた脱核平和巡礼の実りだと感じた」と振り返る。
 巡礼団を代表し、森山司教ら複数人は、山あいにある被爆2世キム・ヒョンニョルさん(享年35歳)の遺骨を納めた納骨堂を訪ねた。キムさんは2002年、韓国で初めて被爆2世であることを公表した人物として知られ、韓国原爆2世患友会の会長を務めた。被爆1世から「被爆者差別が広がる」と激しく非難されたが、病を抱えながらも被爆2世のための人権運動に献身した。

キムさんの遺骨が納められたロッカー式納骨
堂で、ヤン・ギソク神父(生態環境委員会議
長/右)から説明を受ける参加者たち
本人の似顔絵が2枚貼られたキムさんの区画の
前で祈り、日本側が用意した千羽鶴をささげた

 4日目の懇談会で松浦司教は、「―核なき平和への道― 核と平和についての教会の教え」をテーマに講演した。
 松浦司教は、米ソの対立が核戦争の勃発寸前にまで達したキューバ危機(1962年)の際、教皇ヨハネ23世がその危機を水面下で解決したことに言及。教皇は晩年の日記に、「最後の審判の時に問われるのは、(対立や分裂の中で)一致を実現したかどうかではなく、一致のために祈り、働き、悩んだかどうか」だと記していると語り、こう呼びかけた。
 「(平和を願う私たちも)力の小ささにたじろぐことなく、祈り、働き、悩むことが大切です。その根底にあるのは、『小さな力を使って、主が平和を実現される』という信仰です」
 脱原発や気候正義の実現を目指す市民団体「韓国エネルギー正義行動」委員のイ・ホンソクさんは、「韓国の原子力発電の状況」について解説した。

3日目、小型モジュール炉の建設予定地に近い古里(コリ)
原発4基(中央奥)を望む海岸でプラカードを掲げる
参加者たち。当日から加わった松浦悟郎司教(前列中央)
は、森山司教が作ったプラカードを受け継ぎ、掲げた。
メッセージは、「原発建設反対 すべてのいのちを守れ!」

2 日本側の組織改編 日韓13年の連帯 その先へ

 交流から始まった

脱原発に向けた日韓の交流は2013年、福島第1原子力発電所の事故(11年)を受け、両国のイエズス会司祭、修道者、信徒によって始まった。この交流を土台として、15年開催の正義と平和全国集会東京大会を機に公式巡礼は行われるようになった。
 韓国も日本も原発再稼働が進み、新規の原発建設も議論されている。巡礼の主催関係者は脱核巡礼による連帯の深まりを励みにしていたが、日本側は巡礼の企画、参加者の引率などの関連業務に携わることが難しくなった。そのため日本側の提案で24年に韓国で開催された第10回をもって公式巡礼は終了した。

巡礼4日目、巡礼団が宿泊した韓国南部・漆谷(チルゴク)
郡にある聖ベネディクト会倭館(ウェグァン)
修道院施設の聖堂で、パク・ヒョンドン大修道院長
主司式によりミサをささげた(7月2日)

 その後も韓国側は25年11月、仙台で行われた正義と平和全国集会に独自に組織した巡礼団で参加し、交流は継続。今回の巡礼も 韓国側が日本側に参加を呼びかけて開催された。
 日本では26年3月末、正義と平和協議会が部落差別人権委員会など、社会問題を扱う他の委員会等と統合され、翌4月、「日本カトリックいのち・平和・人権委員会」が設立されたばかり。
 同委員会は、従来の委員会が扱っていた原発、部落差別などの課題にとどまらず、より幅広く社会の問題を扱い、教会の現場での取り組みを活性化させることを目指す。
 各現場とどう連携していくかを模索する中、森山司教は今回の脱核巡礼に参加した。

巡礼中、巡礼者と一緒に段ボールにメッセージを書き、
プラカードを作る森山司教(中央/6月30日)
 希望を感じた

 日韓の参加者のLINE(ライン)グループでは、巡礼後も情報や意見を交換するなど、活発なやりとりが続いている。
 日本側は今回、初めて脱核巡礼に参加する人がこれまでになく多く、韓国の参加者は「新しく参加した人との会話が不足してしまい残念」という感想を投稿。
 日本側参加者から、巡礼の記録を残すために可能な人は感想を寄せてほしいと呼びかける人や、今回の巡礼で「個人の回心、その後どう行動するのか?という祈りと分かち合いの時間などあれば良かったかも…」と“つぶやき”を投稿し、そうした祈りを個人的にすることを他の参加者に勧めた人もいる。
 憲法9条、福島原発事故被害救済九州訴訟(九州避難者訴訟)や、7月14日に判決が出る大飯(おおい)原発(福井)の運転差し止め訴訟など、各自が関わる行動についても発信している。
 日本の民間調査研究機関「原子力資料情報室」の高野聡さん(46)は、原発に関する情報が公開されている同資料室のウェブサイトのリンクや、巡礼後に韓国で報道された原発推進の動きを紹介した。
 高野さんは信者ではないが、近年の脱核巡礼に通訳者、講演者として続けて参加し、「日韓の教会が真摯に連帯する姿は脱原発運動にとって心強い」と話す。
 日韓の参加者の間には脱核巡礼の継続を望む声もあるが、現時点では、今後については何も決まっていない。
 脱核巡礼の継続を望む一人で、この巡礼に例年参加してきた東京・徳田教会の齊木登茂子さん(62/東京教区「カリタス東京」カトリック東京正義と平和の会)は、日韓脱核巡礼の今後について「楽観はできない」という言葉で、今の気持ちを表現する。
 そう感じる理由は、組織改編によって正義と平和協議会の下にあった「脱核部会」「死刑廃止部会」や「改憲対策部会」が廃止され、それに代わる働きをする部署が今もないからだという。そのため司教協議会は巡礼の共催を終えただけではなく、そうした社会問題の現場から退こうとしているようにも映るのだと説明する。
 しかし齊木さんは今回の巡礼を振り返り、日本の教会が脱原発を進めていくための「希望」も感じていると話した。その希望とは、韓国の人たちとの出会いを喜び、少しずつ、個人的にでも連帯していこうとする参加者一人一人の姿だ。

毎年8月6日に韓国人原爆犠牲者のための慰霊祭が行われ
る「慰霊閣」の前で(陜川〈ハプチョン〉/6月30日)

  • URLをコピーしました!
目次