「聖フランシスコ年」に当たって キリストが歩んだ道をたどった聖人 小高毅神父に聞く

今年はアッシジの聖フランシスコ没後800年に当たる。教皇レオ14世はこれを記念し、今年1月10日から2027年1月10日までを「聖フランシスコ年」と定めた。聖フランシスコの特に最晩年について、フランシスコ会員で神学者の小高毅(おだか・たけし)神父に聞いた。
― 聖フランシスコが亡くなる前には、特別な出来事が続いて起きました。
主の降誕の馬小屋再現、聖痕(キリストが十字架で負った傷が身体に現れること)、「太陽の賛歌」創作、この三つですね。これらの根底に流れているのは、キリストに従って生きたいというフランシスコの強い願いだと言えるでしょう。馬小屋はキリストの「貧しさ」を、聖痕は「受難」を、そして私は、「太陽の賛歌」が「和解と復活」につながっていると捉えています。
― 今でもクリスマスには馬小屋を飾りますが、フランシスコの馬小屋はそれと違いますか?
世界の教会でクリスマスに馬小屋を飾るようになった起源は、フランシスコの馬小屋と言えます。けれどもフランシスコは、見た目の良い、飾りとしての馬小屋を作ろうとしたわけではありません。飼い葉おけ(プレセピオ)を据え、本物のウシとロバを連れてきて、ご降誕の現場を再現したわけです。その目的は、幼子イエスが貧しさの中、過酷な状況の下で生まれた現実を、できる限り自身の目で見極めることでした。無力な幼子は、状況を全身で受け止める以外にありません。それは徹底した天の父への従順であり、謙遜そのものの姿とも言えます。フランシスコは、幼子に対する共苦共感の思いにその心はとろけ、幼児が口にするような甘く優しい言葉で幼子イエスに語りかけていたと記録されています。フランシスコはベツレヘムで起こった出来事を、集まった人々と一緒に、まさに体験したのです。
― 貧しさが従順や謙遜とつながるのですね?
フランシスコの貧しさは物質的に質素であるだけでなく、神と教会の前に自分を小さな者とする謙遜と結び付いていました。
当時、貧しい生活を求める運動は、ほかにも起こっていました。実は聖職者の堕落が横行し、運動はその反動として信徒の間で起こった教会刷新運動という一面も持っていました。やがて聖職者に暴行したりする事態が起こり、その信徒たちは教会を離れてしまいます。
しかしフランシスコは全く違う道を歩みます。終生司祭にならず修道士として生きたフランシスコは、どんな司祭に対しても、その司祭の許可がなければその小教区で説教をしませんでした。むしろ司祭職に敬意を表したのです。根底には、馬小屋での体験とつながる、聖体の秘跡への理解がありました。
イエスの降誕は、神の子が人となったということですが、この「受肉の神秘」をフランシスコは非常に大切に捉えます。そして神の子の受肉を目に見える形で自分たちも体験できるのが、ミサごとの聖体だと理解します。この聖体を授ける人として聖職者を尊重したのです。そこには物質的に貧しくなるだけでなく、神の深い愛を知り、教会を尊び、小さい自分を自覚するフランシスコの信仰があったと言えるでしょう。
― 聖痕はどのようにして与えられたのでしょうか。
1224年9月半ば、イタリア中部になるラ・ベルナという小高い山でのことです。フランシスコが40日間の断食をしながら祈っていたところ、六つの翼を持つセラフィム(天使)の姿をしたキリストが現れます。そのキリストの傷痕から光のようなものが発せられて、フランシスコの体に傷痕が残されたといいます。両手両足、そして脇腹に。
フランシスコは最初、それを隠そうとします。でも隠しきれません。理由は聖痕の形にありました。
聖痕というと、多くの人はくぎが抜かれた傷跡を想像するのではないでしょうか。でも実際に間近で見た人々の証言によれば、フランシスコの聖痕は違ったのです。
手と足に、くぎが出現しました。くぎは左右の手のひらと足の甲から打ち込まれた形で、その先端は反対側に突き抜けていました。くぎの先端は折り返されたように曲がり、再び肉に達していました。くぎは輪のようになり、真ん中には指を通せるほどの隙間もあったといいます。それが足の裏にもあったのですから、当然歩けません。その状態でおよそ2年間生き、体調の良いときはロバに乗せにもらい説教して回っています。
もう一つは、やりで刺し貫かれたキリストの傷がフランシスコの脇腹にも現れ、そこからは血が流れ出ました。衣服を洗う際に付き添った兄弟たちがそれに気付き、脇腹にも聖痕が刻まれたことを確信したと記録されています。
― 大変な痛みと苦しみだと思いますが、聖痕にはどのような意味があるのですか?
フランシスコは、キリストの歩んだ道を自身も歩むことを強く願い求めていました。聖痕を受けたことで、フランシスコは十字架上のイエスの痛み、苦しみ、悲しみを自身の体で体験したのだと思います。
ある時、あまりの苦痛にフランシスコは主に助けを求めます。すると主が答えてくださり、「ご自分の国をお与えくださるとの保証を得た」と語っています。私は、フランシスコほどの人が、自分が天国に入れることを保証されたからといって喜ぶとは考えられません。別の機会に、「私ほどみじめな罪人はいない」と言っていたフランシスコは、その自分が救われるのだとすれば、全ての人が救われると確信を持ち、それを喜んだのではないかと思います。
神が創られた世界は、もともと調和そのものであり、そこに苦しみはありませんでした。しかし「創世記」にあるように、人間の罪の結果として、男女、兄弟姉妹の関係は断ち切られ、大地は呪われました。それを修復したのが主キリストの十字架でした。
聖痕を身に受けたフランシスコは、主の十字架の死は、自分だけでなく、全ての人を一人残らず救うものだと確信したのではないでしょうか。
―「太陽の賛歌」がキリストの復活と結び付くとおっしゃいましたが、どういうことでしょうか。
フランシスコは1225年、亡くなる前年に「太陽の賛歌」を書きます。それは受難の苦しみを通った後にフランシスコがたどりついたものと思います。
この賛歌を書いた時、フランシスコの状況は非常に苦しいものでした。聖痕による肉体的な苦痛に、目の治療が加わりました。トラコーマのような眼病にかかっていたと考えられますが、あごから目尻までを焼きごてで焼く治療を受けたのです。野蛮なことに聞こえますが、当時の最先端の治療法だったらしく、教皇お抱えの医師が行っています。ただ効果はなく失明寸前となってしまい、太陽の光はおろか、ろうそくの火も見ることができなくなっていました。
さらに当時、フランシスコはサン・ダミアーノの修道院の一角で過ごしていましたが、そこにはネズミたちが出てきて昼も夜もフランシスコの上や周りを駆け回り、祈ることも休むこともさせず、食事の時には食卓に上って威嚇したといいます。
フランシスコと言えば、小鳥たちに説教して小鳥が静かに聞き入ったとか、凶暴なオオカミを諭しておとなしくさせたことなど、動物との親密なエピソードが知られています。その動物が彼に対して敵対的になるのはこの時だけです。
こうした状況の中で太陽の賛歌が書かれます。現実の状況とは全く逆の内容で、明るく、友愛に満ちたものです。これは罪を犯して楽園を追われた人類が、キリストの十字架による死と復活によって和解した後の世界と言えるでしょう。
―「太陽の賛歌」のテーマは神への賛美ですか?
兄弟なる太陽、姉妹なる月と星、姉妹なる水、兄弟なる火、姉妹であり母なる大地と被造物に呼びかけているところにこの賛歌の特徴はあります。神に創られた自然界は兄弟姉妹として調和と一致のうちに神を賛美しています。しかし、至高の善である神をふさわしく賛美することは誰にもできません。でも賛美せずにいられません。
第二のテーマは赦しと和解です。当時アッシジの司教と市長(政治的総責任者)が不仲になり、それを聞いたフランシスコはその部分を書き加え二人の前で歌わせました。これによって二人は和解したと伝えられています。
第三は死です。フランシスコが死の直前に書き加えたとされています。ここで死を「姉妹」と呼び、実際に死の直前には「ようこそ姉妹なる死よ」と迎えています。
死は、人間にとって避けられないものです。私も80歳を過ぎ、高齢の仲間と一緒に住んでいます。また何人もの仲間をみとってきました。それでも死を受け入れることは難しいと感じます。でもやっと病気も死も神の恵みと思えるようになりました。
フランシスコはキリストの足跡をずっとたどってきました。降誕の場面を再現することから始まって、聖痕を受けてキリストの受難を体験し、そしてキリストと同じように父なる神に全てを委ねて旅立つ。これを晩年の3年間に成し遂げたと言えます。
フランシスコの死後、彼を通して神が創立されたフランシスコ会は、貧しさの解釈を巡って分裂します。フランシスコが体験した十字架の苦しみの中に、その分裂の痛みも含まれていたのでしょうか。フランシスコ会が続く限り、分裂の痛みを、そして和解の喜びを生きていかなければならないのだろうと思います。
会だけではありません。キリストを愛する者は世の終わりまで十字架の痛みを、苦しみを、分裂の痛みを背負っていかなければならない。だからこそ和解を、一致の喜びを求め、伝えていかなければならない。フランシスコの生涯はそうしたことを語っているのではないかと、最近、思うようになりました。
◆ 聖フランシスコ年に関連する今年刊行の出版物 ◆
①『アシジの聖フランシスコの「太陽の賛歌」と「平和の祈り」』(フランシスコ会日本管区監修 教友社)
②『フランシスコとともに祈る』(フランシスコ会日本管区監修 ドン・ボスコ社)
以下は予定
③『アシジの聖フランシスコ伝記資料集 補遺』(教文館)
④小さな『フランシスコの生涯』(サンパウロ)
⑤ポール・サバティエ『聖フランシスコの生涯』新訳

