(ミャンマーで3月28日に起きた大地震。現地の人々、また教会はどのような状況にあるのか。日本国内で働くミャンマー出身のビンセント神父に、メッセージを寄せてもらった)
ミャンマーで大地震が発生したという知らせを受けた時、私の心に浮かんだのは、日本のことわざ「泣き面に蜂」でした。まさに今のミャンマーの状況を表す言葉ですね。長い間、ミャンマーの人々は、次々と押し寄せる苦しみに耐え続けてきました。
3月28日、ミャンマー中部を襲ったマグニチュード7.7の大地震は、同国の歴史にさらなる苦難の章を加えることとなりました。マンダレー地方やザガイン地方といった国の中心地に深刻な被害を与え、さらに東部のあまり知られていない地域にまで影響が広がりました。こうした地域では、被害の全容さえ把握されておらず、今も救援の手が届いていない場所が数多くあります。ミャンマーはこのような規模の地震には慣れていないため、人々の間に強い恐れと不安が広がっています。
今回の地震が起こる前から、ミャンマーはすでに数多くの困難を抱えていました。2021年の軍事クーデター以来、国内は混乱に陥り、経済は崩壊寸前。新型コロナウイルスの影響もいまだ大きく、大規模な洪水や内戦が人々の生活を脅かし続けています。人災に苦しめられてきた国に、今度は自然災害が追い打ちをかけているかのようです。
現在、多くの市民が地震ではなく内戦の影響によって、家を失い、森や山中での避難生活を余儀なくされています。食料や医療、教育を受ける環境もなく、日々の暮らしは極めて厳しいものです。
それにもかかわらず、ミャンマーの人々の日常は国際社会の関心から外れがちであり、今回の地震による被害が注目される中で、内戦による「静かな苦しみ」はますます見えにくくなっています。
私の故郷も、今ではとても住めるような状況ではありません。街は人影もまばらで、かつての生活の面影はほとんど残っていません。こうした現実が、ミャンマー全土で起こっているのです。
しかし、このような幾多の危機の中でも、希望の光は消えていません。若者の多くは国外に逃れるか、国内にとどまっても危険のため活動ができない状況にありますが、それでも人々は互いに助け合い、自分たちの力で困難な状況にある人の支援を行っています。
特にカトリック教会は、この試練の中で重要な役割を果たしています。被害が大きいマンダレー教区をはじめとする教区では、損傷を受けながらも多くの教会が今も立ち続け、人々の避難所となっています。各地の教会は限られた資源の中でも支援活動に取り組んでおり、「教会は暗闇の中でも鼓動を続ける心臓である」と言えるような存在となっています。
日本にいる私たちは、地震発生の知らせを受けてすぐに、(長年、ミャンマーの「姉妹教会」として協力している)東京教区に報告し、「ミャンマーのための祈りの集い」を開催しました。ミャンマーの友人たちとプロテスタントの兄弟姉妹も共に祈り、募金活動などを通して支援の輪が広がっています。遠く離れた地であっても、同じ人間として心を一つにできることは、大きな希望です。
自然災害と人災が重なるこの状況の中で、私の心からの願いはただ一つです——ミャンマーに平和と癒やし、そして希望がもたらされること。
日本の皆さん、そして世界中のカトリック共同体の皆さんにお願いです。どうか、ミャンマーの人々のために祈り、行動してください。家を失った方々、家族を失った方々、そして未来への希望を失いつつある方々のために。そして今も森の中で避難生活を送り、声を上げることができずにいる方々のために。さらに、こうした苦しみの中でも静かに、勇敢に奉仕を続けているすべての方のために、祈ってください。
私たちは皆、同じ舟に乗っているのです。人間としての連帯の心が、祈りを生み出し、その祈りが私たちを行動へと導いてくれることを、私は信じています。
この小さな希望の火が、世界中の人々の心に届きますように。そして、ミャンマーの人々に少しでも多くの光と支えがもたらされますように祈っております。
