復活の主日 4月5日 ヨハネ 20・1ー9(日中のミサ) 主の復活

 毎年、復活の主日(日中)に朗読されるのは空の墓の物語である。だが、該当箇所にイエスは登場しない。登場はしないが、その不在を通してイエスはこの物語の核心に在り続ける。「見て、信じた」弟子がいた以上、イエスの不在は決定的な役割を果たしたのである。
 ヨハネ福音書には次のようにある。「それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた」。福音書は復活を信じたとは明記していない。では、仮に復活ではなかったとすれば、一体何を信じたのか。「主が墓から取り去られた」というマリアの証言であろうか。こうした解釈が古くから存在することも踏まえつつ、レイモンド・E・ブラウン(1928-1998年)は注意深く疑義を呈する。遺体消失を単なる盗難と見なすような通俗的理解を「信じた」と伝えるために福音書が記されたとは考え難い、というのである。
 では、何を信じたのか。ここに目的語は示されていないが、ブラウンは「復活を」と解する他ないと結論付ける。私もこの点においてブラウンにくみするものである。ただし、そう解すると次節との連関が問題として浮上する。次のように記されているからである。「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである」。復活を信じながらなお復活を理解していないという点は、文脈上不自然であると多くの聖書学者が指摘してきた。
 しかし、この問題に踏み込む前にもう一つの動詞-それも目的語を伴わない動詞-に注目しておきたい。「見て、信じた」の「見た」である。この「もう一人の弟子」がヨハネ福音書の著者である可能性は高いが、彼は何を見たのか。これについても福音書は沈黙したままである。墓の中に入ったのだから、当然、亜麻布やイエスの頭を包んでいた覆いなどを見たに違いない。物語の展開上、それらを見て復活を信じたと解釈するのが最も自然であろう。ただし、私自身は墓の状態や亜麻布の位置関係それ自体が、復活信仰の直接の契機であったことには慎重でありたい。なぜなら、「見たから信じた」という図式は、ヨハネの文法と必ずしも整合しないように思われるからである。ヨハネは、イエスの口を通してトマスに「見ないのに信じる人は、幸いである」(ヨハネ20・29)と言わせた福音記者である。推測の域を出ないが、ヨハネは復活信仰に至った直接の原因として「見た」という動詞を用いてはいないのではないか。ギリシャ語原文は「見た、そして、信じた」である。
 いささか飛躍と映るかもしれないが、近接する二つの動詞の間に、いくばくかの時間的経過があったのではないかと私は考えてみたい。もう一人の弟子が見たものとは、結局のところ、福音書に記されている出来事の全体だったのではないか。復活の光に照らされて、彼は自らが体験してきたことを新たに見たのであろう。それでもなお、多くは理解されないまま残ったのである。従って、第四福音書の著者とも考えられているこの弟子はそうした無理解についても伝えながら、祈りのうちに長い観想の歳月を経てようやく復活を信じるに至った、その歩みを読者に示しているのではないか。そのように、私は考えてみたい。
  (熊川幸徳神父/サン・スルピス司祭会 カット/高崎紀子)

  • URLをコピーしました!
目次