沖縄戦で組織的戦闘が終結したとされる沖縄「慰霊の日」の6月23日、那覇教区(ウェイン・バーント司教)は第39回「カトリック那覇教区平和巡礼」を開催した。終戦から80年を迎えた今年の平和巡礼には、世界平和の実現に力を尽くす誓いを新たにするため全国から13教区の司教も参加。住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人々が犠牲になった沖縄の人々と祈りを共にし、「もう二度と、武装しない させない」決意を新たにした。巡礼には約200人が参加した。
平和巡礼は、午前6時から那覇市の小禄(おろく)教会でささげる「平和祈願 追悼ミサ」で始まり、同教会から沖縄島南部、糸満(いとまん)市米須(こめす)の戦没者慰霊塔「魂魄(こんぱく)之塔」まで約15㌔を巡礼し、塔の前で祈りの集いを行う。
この日ミサを主司式した日本カトリック司教協議会会長の菊地功枢機卿(東京教区)は説教で、世界で戦争が続き、沖縄を含む南西諸島での軍備強化が進む中で、戦争の歴史からの教訓を忘れさせ、「美化」する動きがあることを指摘。特に若い世代に呼びかけることを目指した戦後80年の司教団メッセージ「平和を紡ぐ旅 ―希望を携えて―」が、沖縄の人々が叫び続けてきた平和や、核兵器廃絶を訴えていることを紹介し、平和のために声を上げ、行動していきたいと結んだ。
ミサ後、参加者は小禄教会の信徒らが用意したおにぎりなどを食べ、徒歩巡礼に出発した。途中3地点で休憩を取る間に戦争体験者の『証言』が朗読され、参加者は日本兵が細いひもで幼児の首を絞めて殺す場を目撃した、当時19歳だった人の体験などに耳を傾けて祈り、また次の地点へと出発した。
参加者の高齢化で年々、車で移動しながら巡礼に参加する人は増えているが、今年も「ひめゆりの塔」近くにある最後の休憩地点から魂魄之塔までの約1・4㌔は歩く人が大半だった。
沖縄は全ての戦争を「完全に否定」してきた
魂魄之塔前で行われた祈りの集いでは、沖縄カトリック中学高等学校の生徒4人が平和アピールを行い、「二度と過ち(戦争)を繰り返さない」などと誓った。
2025年 沖縄慰霊の日 司教メッセージ「沖縄を戦場から非武装中立平和特区へ」(教区報「南の光明」2025年6月号3ページ目)は、バーント司教と共に、同教区の男性、女性、青年、子どもの代表がそれぞれの「心」としてリレー形式で読み上げた。
同メッセージは、「すべての戦争を完全に否定し、拒否する方法を求め続けてきた」沖縄の人々が、近隣諸国の脅威を理由に「再び戦争への備えを強いられ、戦闘終結後も続く軍事に伴うあらゆる人権侵害と人間の尊厳を踏みにじる行為に、いまだにさらされ続けて」いると指摘する。「特に最近は、強引な要塞化が県全体におよび、自国とその同盟国によって自治権が侵害され、再び戦場とされるのを拒む沖縄の民意と人権そのものが無視されている」とも訴える。同教区が「不戦の誓いを果たし、自治権の完全な回復を実現する具体的な手段」として「沖縄が戦場から非武装中立平和特区となること」を提案し、全世界の戦争犠牲者の「悲願」だった「愛と平和な世界」を実現する使命を全うできるよう祈る内容だった。
正午、沖縄県が主催する沖縄全戦没者追悼式の参加者など、この日、戦没者の慰霊と世界平和のために人々が行う1分間の黙とうに心を合わせた。その後、一人ずつ魂魄之塔の前に献花した。
沖縄・泡瀬(あわせ)教会の渡慶次花歩(とけし・かほ)さん(16)は、学校でも学んできた沖縄戦を「少しでもリアルに感じてみたい」と、祖母、母親と平和巡礼に初めて参加した。日差しの熱さを肌で感じながら歩き、「80年前、兵隊さん(日本兵)にひどい扱いをされながらここ(沖縄島南部)を逃げ続けた人たちも、このぐらい暑かったのか」と想像したという。
沖縄戦当時14歳だった具志堅(ぐしけん)貞子さん(94/沖縄・与那原〈よなばる〉教会)はこの日、娘と孫と共に車いすで魂魄之塔の前にある大分県出身の戦没者慰霊塔「大分の塔」も訪れた。80年前、沖縄島南部へと一緒に逃げていた母親が流れ弾で亡くなった後に出会い、以後の避難生活で世話になった日本軍の炊事班担当「今宮さん」の名が刻まれているためだ。具志堅さんは「戦争、戦争って聞くたびに(今宮さんら)一緒にいた人たちの顔が浮かんで寂しくなる」とつぶやくと、涙があふれ言葉が続かなくなった。






