今年の沖縄「慰霊の日」(6月23日)に向け、劇場公開映画『摩文仁 mabuni』(映画紹介は本ニュースサイト「文化」欄に掲載)を制作した新田(にった)義貴さん(55)に聞く3回シリーズ。最終回は、新田さんが〝分断〟を感じる中で見つけた希望について紹介する。(これまでの記事:1回目/2回目)
同じ人間として
新田さんは、2010年から今年まで15年にわたった『摩文仁 mabuni』の制作期間中、「世界の分断が深まっている」のを感じてきたと言う。例えば、人々は沖縄島北部の辺野古(へのこ)で進む米軍基地建設について賛成派と反対派に分かれ、両者の意見は平行線をたどるばかり。進化するSNSは他者の発言や存在を否定する〝ヘイト〟(憎悪表現)であふれ、憎悪はあおられていく一方だ。
だが新田さんはそうした現実の中で、分断や互いの違いをあおるのではなく、それらを「ありのままにきちんと見せる」ことが大切だと考えるようになった。なぜなら、分断が深まる中で、関係が途絶えた者それぞれの現実を見据え、 葛藤を重ねながら「両者が分かり合っていくための接点」を探そうとする人々にも出会ってきたからだ。
作品には、新田さんが摩文仁の丘の「黎明之塔(れいめいのとう)」の前で出会った、牛島満(みつる)中将ら軍人の死を悼む人々も登場する。「(彼らは)塔の前で声を合わせて軍歌『海行(ゆ)かば』を歌っていて、(牛島中将が決定した南部撤退の犠牲となった)沖縄の人たちから見たら、とんでもない話」だと新田さんは表情を曇らせて言うが、その出会いは批判的な感情を抱くだけでは終わらなかった。「その人たちには、その人たちなりの思いがある」と感じたからだ。
「あの日、僕は『黎明之塔』の前でたまたま彼らと出会って撮影しましたが、彼らはその前には沖縄の住民の慰霊碑も回ってきているようで、悼んでいるのは軍人だけではなかったのです」
新田さんは個人的には「彼らの歴史観はかなり偏っている」と感じていると言うが、彼らにもインタビューをしてその声を作品で取り上げた。なぜなら、塔の前で彼らが「二度と戦争を起こしてはいけない」と断言するのを聞き、自身と共通の願いがあることを知ったからだ。新田さんは直接彼らと話し、同じ人間として「普通に話し合える相手」であることも知った。
だが日本政府が戦争を想定して沖縄を含む南西諸島での軍備拡張を進める今、沖縄の多くの人が抱える傷が〝えぐられ〟続けていると、新田さんは彼らの痛みを思い、こう指摘する。
「本作に登場する沖縄戦体験者で、在日米軍基地が沖縄に集中する現状に強い違和感を抱いていた元沖縄県知事の大田昌秀さんは、元知事として公に自分の思いは語らないまでも、私に言いました。日米安保条約が(平和の維持に)不可欠ということであれば、自分たち(政府)も『沖縄の人々の心の傷、死者たちの深い思い・悲しみ』に思いをはせ、その『負担を分かち持つ』のが当然であり、それこそが『慰霊』なのだと」
新田さんはそうした中で、自身とは異なる思想や歴史観を持つ相手との間に共通点を見いだした「黎明之塔」での〝経験〟が、分断の深まる世界にいつか橋を架けることにつながっていくのではないかと、未来に希望を抱くようになった。
「(軍歌を歌う)彼らのような慰霊の仕方を到底受け入れることができないと感じている人も、そうした相手との接点をうまく見つけて直接話してみると、共通点を見つけることができるかもしれません。この作品も最終的には、分断が進む世界で対話が始まるきっかけになっていくことを目指しているので、映像の編集も含め、できるだけフェア(公平)にすることを心掛けました」
戦争体験者の声を伝えていく
新田さんは、取材で出会った戦争体験者との間にも、ある種の〝隔たり〟を感じることがあったという。かつて沖縄戦の戦場だった場所に立ち、「70数年前(取材当時)、この地は地獄だった」などと聞いたが、戦争を体験していない自身にはその現場を想像することが難しかったからだ。
しかし、「僕の隣にいる人は同じものを見ていても、多分、見えている風景が全く違うのだろう」と、相手との「違い」をありのままに受け止めるうちに、「時空を超えて旅をしているような」気分になったという。
「それはつまり、僕は(戦争中の)現場を想像することはできなくても、目の前にいる人の証言を聞くことで、その歴史(過去)が確かに存在し、今につながっているというような〝感覚〟があったということです。沖縄戦の歴史の受け止め方にも〝分断〟はありますが、その分断は、歴史が今と地続きであるという感覚が分からないことによっても深まっているのではないかと思えてきたのです」
例えばインターネット上の情報だけを見て、「沖縄戦は(戦う価値のある)正しい戦争だった」と主張をする人もいるが、それに比べると、凄絶(せいぜつ)な沖縄戦を実際に経験した人の言葉や証言には、戦争を肯定する余地を1ミリも残すことのない「強さ」があると新田さんは強調する。
「だから僕は、映像を通して今の人たちに、そうした強さのある戦争体験者の声を聴き、自分で何かを感じ取っていく場を提供したい。この作品には、『二度と戦争を繰り返してはならない』と平和を訴え続ける戦争体験者と、戦争を知らない世代の橋渡しをしていく役割があると常に感じながら制作していました」
新田さんは『摩文仁 mabuni』の劇場上映期間終了後、自身のウェブサイトに自主上映会の申し込みフォームを載せる予定だ。「特に(さまざまな立場の人の思いに触れる)この作品に関しては、作品を見た後、皆で意見交換することも大切かと思うからです。映画に登場する人を自主上映の場に呼んで話を聞き、みんなで話し合ってみてはいかがでしょうか」
