朝鮮通信使を知る絵本原画展 高麗博物館で開催中

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朝鮮通信使を知る絵本原画展 高麗博物館で開催中

『絵本 朝鮮通信使』の原画

 朝鮮通信使が果たした役割や、当時の人々の交流の歴史を伝える『絵本 朝鮮通信使』(「嶋屋」友の会発行、2021年)の原画展が、東京・新宿区の高麗博物館で開催されている。
 朝鮮通信使は江戸時代、12回にわたって朝鮮半島から日本に来訪した。その交流には、互いに欺かず、争わず、真実を持って交わる「誠信交隣(せいしんこうりん)」の精神が流れていた。
 同館理事の円谷(つぶらや)恵さん(68)は、「日韓和解」がキリスト者としての自身のテーマであり、ミッション(使命)だと話す。円谷さんが高麗博物館で活動することになったきっかけや、今回の展示の目的と見どころについて聞いた。

 キリスト者としてのミッション

 円谷さんは、中学からミッションスクールに入学した。学校から勧められて教会に通うことになり、同じ学校の先輩から日本基督(キリスト)教団・西片町(にしかたまち)教会(東京・文京区)を紹介された。そこに通ううちにやがて受洗。19歳の時だった。
 同教会は、同教団が1967年に「第2次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を出した時、議長を務めていた鈴木正久牧師が牧会していた教会だ。戦争責任告白を実践する教会として、75年には韓国のソウルチェイル教会と姉妹関係を結び、現在に至るまで交流が続いている。
 「ソウルチェイル教会は、韓国の民主化運動の中心であったパク・ヒョンギュ牧師の教会でした。弾圧を受けていた当時(物心両面で)教会を支えるべく姉妹教会になったと聞いています」
 円谷さんは大学3年から4年になる時の春休みに、戒厳令下のソウルを訪問。「民主化を求めて青年たちが闘ったり、投獄されたりしているのを見てショックを受けました」
 そしてソウルチェイル教会を初めて訪問した際、ある高齢女性の「言葉」に衝撃を受けた。
 通訳を介してその女性と会話した時のこと。円谷さんが話す日本語を聞いて、その女性は韓国語で「私は日帝(日本の帝国主義)の下で育ったから、あなたが話している日本語は分かる。でも、日本語を話そうと思うと(統治時代の)いろんな(つらい)記憶を思い出して、喉が締め付けられて話せない」と言ったのだという。円谷さんは、日本の植民地政策が、その女性の「言葉も、(創氏改名によって)名前も奪ってしまった」事実を突き付けられた。
 円谷さんは朝鮮半島にずっと関心を持ち続け、高麗博物館の会員にもなっていたが、仕事を持っていたのでなかなか展示の企画などの活動に参加することができなかった。2019年3月に早期退職し、ソウルへの短期語学留学を経て、同館のボランティアに加わる。同館初代理事長は牧師で、会員にはキリスト者も少なくないという。
 円谷さんは「『和解』はキリスト者にとって絶対にやらなければいけないことですし、一番近い国の隣人を愛することは使命」だと話した。

 対等な立場で交流していた

 同館が朝鮮通信使をテーマに展示するのは、今回が2度目。1度目は2019年12月から20年5月まで「江戸時代の朝鮮通信使 260年続いた平和の交隣関係」として開催予定だったが、コロナ禍のための中断も経験した。
 「昨年は戦後80年で、BC級戦犯(→関連記事)や植民地主義をテーマに扱いました。今回は『平和』に焦点を当てた展示をしたいということで、朝鮮通信使を取り上げることになりました」
 日本と朝鮮王朝の交流は、室町時代の3代目将軍、足利義満の頃から始められていた。しかし、豊臣秀吉の2度にわたる朝鮮侵攻により交流が途絶える。徳川家康の時代になると、「家康は、近い国と関係を修復しなければならないと考えたようです。日本には秀吉が朝鮮から連れてきた捕虜がたくさんいたので、最初は彼らを朝鮮に連れて帰る目的で、通信使ではなく『回答兼刷還使(けんさつかんし)』がやってきました」
 当時の朝鮮の首都を出発した使節団は、釜山から出航し、対馬を経て、瀬戸内海を通り大坂へ。そこからは陸路で江戸に向かった。

朝鮮通信使の行列を再現したジオラマ


 朝鮮の人々は、秀吉の侵略を経験していたので、「最初の人は殺されるかもしれないという覚悟も持ってきたようです」。家康は、朝鮮の人々に「平和に交流したい」というメッセージを伝えようと、使節団の通り道の各藩に、心づくしのもてなしをするように命じた。 
 例えば現在の静岡市にある清見寺は、家康が今川義元の人質だった時に読み書きを習った「思い出の」場所で、通信使の宿泊場所として使われた。松原と富士山の絶景に恵まれた清見寺では、豪華な食膳が用意され、「海で『クルージング』までしたらしいです」。
 異国の風俗を伝える通信使の存在は、日本の民衆にとっても楽しみな存在だったことがうかがえる。行列を見ようと民衆が集まり、そのうわさは、通信使が通らない地域の人々にも伝わり、各地で通信使をかたどった人形が制作されている。また、通信使の衣装や音楽を地元の祭りに取り入れた地域もあり、現在まで残されている。

通信使をかたどった各地の郷土人形


 2017年、「朝鮮通信使に関する記録」はユネスコの「世界の記憶」に認定されたが、円谷さんは、その申請が「日韓の市民団体が主体になって行われたことに注目してほしい」と話す。申請書には、「この記録には悲惨な戦争を経験した両国が平和な時代を構築し、これを維持していくための方法と知恵が凝縮」されており、「対等な立場で相手を尊重する異民族間の交流を具現」していると書かれている。
 円谷さんはこの展示を通じて「(両国が)対等な交流を目指したという働きがあったことを記憶してほしい」と願っている。
 前回は朝鮮通信使を解説するパネルが展示の中心だった。24年に『絵本 朝鮮通信使』の作画を担当した網本武雄さんから絵本の原画展の提案があり、「絵で分かりますし、親子で鑑賞できて、お子さんでも理解できます。ぜひやりたい、と思いました。(印刷された)絵本もいいのですが、原画がとてもすてきなんです」
 朝鮮との和平に尽力した対馬の領主・宗義智の妻は、キリシタン大名である小西行長の娘であり、義智も義父の影響でキリシタンとなった。円谷さんは、単なる想像としながら「義智はキリスト者だったので、(朝鮮との和平に)信仰的な使命もあった(感じていた)のかな」とも話した。

円谷(つぶらや)恵さん。お気に入りの原画「通信使の道・海路(Ⅱ)」(右上)と共に
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