後編 海外留学から独自思想の展開へ
今年(2026年)2月に著作選集全3巻(日本キリスト教団出版局)の刊行が完結した、神学者の宮本久雄神父(ドミニコ会)に話を聞いた。81歳という高齢ながら、現在もカトリック渋谷教会(渋谷区南平台)の主任司祭および東京純心大学の教授として活躍している。
その選集は、第1巻「聖書 旅する神のダーバール(言即事)と共に」、 第2巻「キリスト教思想 愛とケノーシスの間にて」、第3巻「エヒイェロギア 自らを超えゆく神の探究」と、長年取り組んできたテーマを三つに大別して表現している。
東京大学教養学部、上智大学神学部で教え、聖書・哲学・神学の諸分野をまたぐ思索と気さくな人柄で、多くの学生たちに影響を与えてきたその歩みを語ってもらった。その後編。
〔聖書の学びへ〕
ドミニコ会カナダ管区の本部、オタワの神学校に入学した宮本青年は、そこでの学びの中で、特に聖書に取り組み、それは預言者エレミヤの生の声の響きを聴こうと努めた神学修士論文「エレミヤの告白」に実る。
「さらに勧められて、エルサレム・フランス聖書考古学研究所(通称エコール・ビブリック/1890年、エルサレムに創立されたドミニコ会運営の高等教育・研究機関)に参学しました。当時はトマス主義がカトリック神学の世界で退潮し、教師が激減。カール・ラーナー、バルタザール、スキレベークスなどの全盛期で、トマスを革新するという風潮の時でした。
そこで聖書の研究にさらにまい進し、ヘブライ語から学び、また実地に、新約聖書学者でエルサレム地誌専門のピエール・ブノア神父(1906~87年)の導きでエルサレム市内をつぶさに巡ったのです。さらに各月の大遠足を通じてガリラヤやクムランなどにも足を伸ばし、年末にモーセの足跡をたどる旅をし、荒野を踏破、神の山シナイ山にも登りました。エコールでの研究の実りが論文「ゲツセマネのイエス」でした。というのも、苦悩、十字架が私の心の核心的なテーマだったからです。
その後、フランス、パリのアンスティテュ・カトリック(フランスのカトリック高等教育機関)に移り、知的サロンの雰囲気漂うサンジャック修道院でコンガール神父、シュニュ神父と生活を共にしました。シュニュ神父からは西方神学を味わい、深めるために東洋の思想・霊性の研究を勧められたことに感激しました。ギリシャ教父の研究に向かったのもこの頃からです」
〔存在論の革新へ〕
そうした中、山本巍氏の働きかけもあり、東京大学教養学部の助教授に招聘された。そこでカトリック信者仲間ができ、東大始まって以来というキリスト教の講義をした。楽しかったという。その頃、プロテスタントの神学者、有賀鐵太郎(1899~1977年)の「ハヤトロギア」の思想と出会う(『キリスト教思想における存在論の問題』「有賀鐵太郎著作集」第4巻、創文社、1981年)。それは、ギリシャ哲学の伝統を形づくったアリストテレス的な存在理解にある実体主義に対して、聖書的な神の動的な存在性をヘブライ語の存在動詞「ハーヤー」で把握する立場だった。
「あの当時、日本でも、京都大学の山田晶先生などによってアウグスティヌスと並んでトマスもよく紹介されていたのですが、有賀先生のハーヤー説と出会って、自分は目が開かれるところがありました。欧州の形而上学、存在論といったものは極まるところ実体主義でした。その伝統にあっては、神は第一実体として、永遠に不動の存在で、因果関係によって世界を支配しているという、いわば存在=神論が中心でした。そこには歴史にコミットする神の姿というものはありません。それに対して、聖書の神は歴史を通じて出会う神であり、それを考えるのは歴史的存在論です。そこでは時は、過去―現在―未来に連結される線状的な流れでなく、出会いの時(カイロス)です。そこで『ハーヤー』という語に示される動的なカイロス的な存在論を研究しなくてはならないと考えました」

この出会いから、ハヤトロギアを自らのものとして探究。その思索をまとめた『存在の季節 ハヤトロギア(ヘブライ的存在論)の誕生』(知泉書館 2002年)が独自思想への出発点・試金石となった。
「ただ、自分には、有賀のハヤトロギアとは違う問題意識がありました。それは根源悪に関する問題意識です。根源悪は現代においては、人間『抹殺の檻』としての『アウシュビッツ』という歴史事象、そして今まさに脅威となっている『巨大核科学』、また『経済至上主義』、AIを最前線とする情報テクノロジー万能主義、官僚主義、軍事力支配などの現象に示されるものです。そうした現代史や現代思想の基盤となったヨーロッパ思想、植民地主義、全体主義などの根底には西欧的な存在観、第一実体(神)を頂点とする実体的因果関係のシステムとしての存在神論があったのではないか。ヘブライ的存在理解をさらに徹底することで、これらの悪の根源を克服する道が開けないかと考えたのです」
そこでたどりついたのが「エヒイェロギア」という立場。「エヒイェ」とはヘブライ語の存在動詞ハーヤーの一人称単数未完了形。出エジプト記3章14節で、主である神がモーセに対して自らを明かして告げることば=「私はある。私はあるという者だ」(新共同訳)のヘブライ語原文「エヒイェ・アシェル・エヒイェ」に出てくる。このことばによって、モーセに現れる神は、自己を脱して他者(それも弱者)に関わるという独特な“在り方”を示している。それが究極的にはイエス・キリストにおいて現実となったと考えられる。そこで、宮本神父は「エヒイェ」に、他者に向けて実体存在を脱する意味で「脱在」という日本語を当て、この洞察を核心とする存在理解、神理解を「エヒイェロギア」と称している。
〔愛の思想による悪に対する総力戦〕
このような独自の立場を踏み固めるためにギリシャ教父の研究、その思想との対話が重要だったという。
「ギリシャ教父の研究の一番の基本は、実は旧約聖書の雅歌なのです。雅歌についてはオリゲネスやニュッサのグレゴリウスが註解や講話を残しています。雅歌は神の名が出てこない男女の相聞歌、祝婚歌なのですが、教父たちはそこに、若者をキリストに、花嫁を人間の魂と比喩的に解釈し、自分にとどまらず、無限に他者に出会っていく神の在り方、すなわち愛である神を読み取り、思索していったのです。自分はニュッサのグレゴリウスの雅歌講話を多くの学生たちとしばしば合宿を重ねながら、ギリシャ語原典から邦訳を試みつつ読みました」
「エヒイェロギアは神の愛の神学です。神の愛の思想をもって根源悪を克服しようという思想的な総力戦を遂行していると思っています。そのために、私は関係する各々の専門分野において“中の上”あるいは“上の下”程度のレベルには達しておこうと努め、研究を高め、その成果を学説として発表しました。また、仲間と研さん努力を積み、研究を分かち合うべき東方キリスト教学会、教父研究会などの立ち上げにも関わってきたわけです」
これからも門下生たちを通じてこの思想は受け継がれ、展開されようとしている。

〔看護学科の若い学生たちと〕
神父は今、看護学科の学生たちの授業を受け持っている。どんな授業をしているのだろう。
「看護学科の学生たちは、4年間勉強をし、実習もして国家試験を受ける。ところが働き始めてしばらくして辞める人たちが多い。看護師は、患者さんの体のケアをしていればいいというものではなく、病気を持っている人々の人生の苦しみを聞くことにもなる。そのような時、自分では、この苦しみに向き合えないと悩み、自分ではだめだとあきらめてしまう人が多いのです。そのような患者さんと向き合うときのために、自分は、苦しみと直面し、乗り越えていった人の話を学生たちにしようとしています。別にキリスト教の歴史や教えを語る授業をしているわけではないのです。(著作選集第3巻に登場する)良寛や宮沢賢治(1896~1933年)や石牟礼道子(1927~2018年)の精神もその関連で語ることがあり、現代の悲惨な事件の被害者や遺族たちの声や叫び、例えば、酒鬼薔薇聖斗と名乗る少年に殺害されたわが娘「彩花」によって絶望を乗り越えた母山下京子さん(著書に『彩花へーー「生きる力」をありがとう』がある)の話などをし、学生たちに聴いてもらうということを試みています」
宮本神父が築き上げてきた神学思想は、独特な用語のゆえに難解な印象を放つが、その意図は極めて実践的だ。「エヒイェロギア」の思想家は、今はこうして、20歳前後の学生たちに、人間とは、いのちとは、を問い続け、古今東西の知恵を語り続けている。
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