心を合わせて「NO MORE WAR(ノー・モア・ワォー)!」 那覇教区平和巡礼
戦後81年を迎えた沖縄「慰霊の日」の6月23日、那覇教区では40回目となる「カトリック那覇教区平和巡礼」を行った。県内外から信徒ら80人余りが参加。沖縄戦で犠牲となった20万人を超える人々の命を思い、平和を願い求めながら、小禄(おろく)教会(那覇市)から糸満市の戦没者慰霊塔「魂魄(こんぱく)之塔」まで、5時間かけて歩いた。塔の前では、祈りの集いと献花が行われた。
平和実現のために、まず自分の心の中で闘う

巡礼に先立ち、午前6時から、小禄教会で「平和祈願 追悼ミサ」がささげられた。
ミサの冒頭、中村倫明(みちあき)大司教(長崎教区)から寄せられたメッセージが読み上げられた。中村大司教は今回、巡礼に参加することはかなわなかったが、「沖縄が味わった悲しみや苦しみ、痛み」を思い、「心を共にしてミサをささげ、今日一日の歩みをささげます」と述べた。
ミサを司式したウェイン・バーント司教(那覇教区)は説教で、平和を実現したいのなら「私たちがまず自分の心の中で闘わないといけません。憎しみを捨てる。差別を捨てる。その代わり自分の中に、全人類に対する愛情を身に付ける」よう呼びかけた。「もし、自分の心の中に憎しみや恨みが残っているのなら、この(小禄)教会で下ろして、平和と正義のために(魂魄之塔がある)摩文仁(まぶに)まで歩んで行きたいと思います」
そして「皆が兄弟姉妹」という福音的価値観は、沖縄の人々の中にも古くから受け継がれていると指摘。バーント司教には軍事基地が集中している沖縄を、二度と戦争のために使わせない、すべて軍事基地を沖縄から無くすという「夢」があると話し、平和実現のために、今日の巡礼を始めたいと話した。
「NO MORE WAR!」と叫ぶ
ミサ後、参加者たちは小禄教会の信徒らが準備した軽食などを食べてから、巡礼に出発。梅雨の合間の晴天の、刺すような日差しの中を歩いた。途中3カ所の休憩地点では、戦争体験者の証言集の朗読に耳を傾けて祈り、聖歌『平和の歌―ヌチドゥ タカラ』(作詞・作曲 新垣壬敏)を歌って力づけられ、再び歩き出した。最後の休憩地点、ひめゆり会館駐車場では、沖縄カトリック中学高等学校の中学1年生50人も合流し、魂魄之塔を目指した。
正午の時報に合わせて黙とうをささげた後、魂魄之塔前で行われた祈りの集いでは、沖縄カトリック中学高等学校の中学3年生4人が、平和巡礼を通じて、戦争の悲惨さや命の尊さについて考えたことや、平和実現への決意を表明した。
それに続き4人の信徒らが交代で、2026年沖縄慰霊の日・平和メッセージ「沖縄からの叫び『NO MORE WAR!』」を読み上げ、最後に全員で「NO MORE WAR!」と三度、声を上げた。戦争の犠牲者を追悼し、平和を願って作られた歌『月桃』を歌いながら、魂魄之塔の前に一人一人献花し、解散となった。


神は正義を見捨てない
首里教会信徒のSさん夫妻は半世紀にわたり、平和活動に取り組んできた。現在も週に一度、辺野古の基地建設への抗議行動に加わっている。沖縄から基地がなくならないことへの悔しさを抱え続けているが「私たちは、神様は正義を見捨てることはないという信仰があるから、まだ頑張っていけます」。(Sさん妻)
東京からの巡礼団の一人、朝倉忍さん(80/麴町教会)は1945年生まれ。「戦後何年」の数字と自分の年齢が同じであり、幼い頃から戦争や平和を意識しながら生きてきたと話す。日本が「戦争ができそうな国になっていく危機感」を感じ、昨年に続き巡礼に参加した。
与那原(よなばる)教会信徒の新城留美子さん(60)は、平和巡礼を始めた故ラサール・パーソンズ神父(カプチン・フランシスコ修道会)の言葉「平和に対する私の熱意が変えられることがないように」と出合い、心を動かされて参加するようになった。「自分の身近な人との平和を築くことが大事」だと感じていると話した。
岡田友季子さん(68/神奈川・藤沢教会)は、夫と二人で初めて参加。歩いてみて「(犠牲者たちは)この暑い中、恐怖の中で逃げ惑っていたのかと思いました」。沖縄を戦場にしてはいけない、との思いを新たにした。
安里教会信徒の山里奈巳(なみ)さん(49)は中学生の息子と一緒に、「平和の礎(いしじ)におじいちゃんのお兄さんの名前があるんだよね」などと話しながら歩いた。
小禄教会信徒のフォスターサザーランド愛子さん(46)は夫と、10歳を筆頭に3人の娘たちと共に巡礼に参加。去年に続き2回目だという。母方の家族は渡嘉敷(とかしき)島出身。沖縄戦のさなか、手りゅう弾を渡され、集団自決に追い込まれた。「手りゅう弾が不発で、『死ぬまでは生きよう』と山の中を逃げ回って生き延びて、戦後、母が生まれたんです」
暑い中歩くことで、81年前、沖縄県南部まで逃げ回った人たちのことを思い、祖先が戦争を生き延びたことを、娘たちに知ってほしくて巡礼に参加していると話した。

