沖縄の視座から聖書を読む 「底突き」を体験 共に歩む道へ 谷大二名誉司教(さいたま教区)に聞く
さいたま教区の谷大二(たに・だいじ)名誉司教は、2013年、引退した翌日に沖縄に移住し、那覇教区で正義と平和に関わる活動や黙想指導などに携わった。がん治療のため、埼玉で暮らすようになった今も沖縄に心を寄せ続けている。この春、「沖縄の視座」から詩編を読んだという谷司教に今の思いを聞いた。
谷司教にとって沖縄は、差別する側にいることに無自覚な“普通の日本人”だった自分に、「底突き」とも言える体験をもたらした場所だという。沖縄との出会いは、あらゆる抑圧や差別の歴史を知ることにつながり、今も苦しみ続ける人々と共に歩むよう、谷司教を促してきた。

「沖縄の視座」から詩編を読む
谷司教は沖縄に住んでいた頃、沖縄本島南部の与那原(よなばる)教会で10年間、黙想を指導した。聖マリアの汚(けが)れなき御心のフランシスコ姉妹会が主催する「一日黙想会」での指導だ。
「次は詩編を」とリクエストを受けた矢先にがんと診断され、治療に専念するため埼玉県へ転居した。療養生活の中、沖縄・名護市辺野古(へのこ)で進む米軍の基地建設など、「今も差別され続けている沖縄」の状況を追い、枕元の聖書を開いた。
かなわなかった黙想指導に代え、「都に上る歌」というタイトルが付けられたエルサレム巡礼のための詩編(120~134)の解説を執筆した。
谷司教が執筆の際にまず留意したのは、詩編が「民衆の生きる場」で生まれたことだという。詩編作者たちはユダヤ民族に対する植民地支配、迫害、戦禍、捕囚の影響を受けており、詩編には、その中で生きる者としての思いが託されている。谷司教は、詩編作者らの思いを、沖縄戦、植民地支配などによって虐げられてきた「沖縄の視座」から推察した。
「私はヘブライ語ができるわけでもないし、詩編に関する最新の研究論文を検証したわけでもありません。しかし詩編は具体的な事象や登場人物が特定できる記述を避け、浄化・洗練された歌になっています。だから読む人が自由に解釈することができます」
いつの時代に書かれた詩編であっても、自身が生きる時代に合わせて読むことができ、またどの時代を想定して読んでもいい。自身の人生の経験、苦難、喜びと重ね合わせ、「自分史の中で」読むこともできるという。
ユダヤの民の苦難は「沖縄と同じ」
「バビロニア捕囚や長く植民地として支配されていたユダヤの歴史、そこでの民衆の苦しみは、沖縄と同じもの」と谷司教は語り、沖縄の苦難の歴史を次のように説明した。
沖縄は薩摩藩に支配され(琉球侵攻/1609年)、明治政府による琉球処分(1879年)以降、「植民地」であり続けている。
太平洋戦争(1941~45年)開戦前、明治政府は沖縄で皇民化教育を実施。同化政策として、沖縄独自の文化や歴史を否定し、県民が国家のために命をささげるよう教育や思想統制を徹底した。沖縄戦が始まると沖縄は「捨て石」にされ、戦地とされた。戦後は日本から切り捨てられて米国の植民地になり、日本復帰(1972年)によって再び「日本の植民地」となった。
「日本人はよく『日本は憲法9条によって戦争をしてこなかった』と言いますが、実際には、日本に駐留する米軍は、常に沖縄から戦地に向かってきました。沖縄を犠牲にして、日本の憲法9条は守られているわけです」
実際、本土にいると日本が「戦争の準備」を進めているようには見えないが、沖縄は「県全体が軍事要塞化」されている。
日本の国土の0・6%しかない沖縄には、既に国内にある米軍専用施設の70%以上が集中している。それに加え、辺野古の米軍基地では普天間(ふてんま)から基地を移設する名目で、新設部分を含め、基地が強化・建設されている。米軍基地建設は、建設中止を求める県民の訴えをよそに、日米両政府が続けてきた。県内各地の自衛隊基地でミサイル配備が強化され、石垣島などでは有事に備えて避難訓練も行われている。

6月25日から30日まで島内で行われる、自衛隊と米軍に
よる大規模な共同訓練「レゾリュート・ドラゴン26」に
抗議をする市民たち。市民は自衛隊駐屯地を同高校の畜産
演習場付近にまで拡張させる政府にも抗議してきた
(写真提供:石垣島の平和と自然を守る市民連絡会)
「沖縄の空では日常的に戦闘機が訓練で飛び交っているのに、日本本土でそういう光景は見られません。今も、本土を守るために沖縄を犠牲にする“捨て石”と同じ政策が繰り返されていると言えます」
しかし、沖縄の人々は「諦めていない」と谷司教は話す。本土の日本人が本土から米軍基地を追い出したことによって、それらが集まった沖縄は、過重な基地負担を強いられている。そうした中、「同じ日本なのだから、本土並みの(他の都道府県と同等の)基地負担にしてほしい」と訴えてきたのが沖縄の人々だという。
「沖縄の人々は日本本土に委縮し、依存しようとしているのではありません。あくまで民主主義に則った自己決定権を主張し、30年近く座り込みを続け、国との裁判闘争に臨みました。残念なことに裁判では全て敗れていますが、座り込みという非暴力による抵抗を続けています」

取り組んだ。この問題は、今も沖縄戦犠牲者の遺骨が多く
眠ると見られる沖縄本島南部の土砂を、辺野古の米軍基地
建設の埋立てに使う政府の計画を指す。写真は計画に反対
する市民らと共に、遺骨が含まれる土砂を基地建設に使
わないよう訴える谷司教(中央/写真提供:山田圭吾)
沖縄での「底突き体験」
谷司教が沖縄と“出会った”のは、神学校を卒業する直前、助祭だった1985年。沖縄戦の実相を伝える平和ガイドが現地で始まって間もない頃だ。
「当時は私も(沖縄に米軍基地を押し付けていることに無自覚な)“普通の日本人”でした」。ガイドの案内で米軍基地などを巡り、「沖縄にはこんなにも多くの米軍基地があったのか、何も知らなかった」と衝撃を受けた。
「それは、自分が何も知らないということを自覚しているという『無知の知』などという言葉で片付けられるような話ではありません」と、谷司教は強調する。
「(なぜなら)それまで私は沖縄の過重な基地負担について学校で教わったことはないし、マスコミを含め、そんなことを言う人は当時、誰もいなかったからです。私はそこで初めて、沖縄の問題は社会全体の偏見と差別によって、隠されてきたのだと気付いたわけです」

真栄原(まえはら)カトリック幼稚園(沖縄県
宜野湾市)の上を低空飛行し、基地に着陸する。
民間機が基地の上を飛ぶことは禁じられている
(写真提供:山田圭吾)
谷司教は日本カトリック依存症者のための会(JCCA)の会長を務めてきた経験から、自身が神学生時代に沖縄で得た気付きについて、薬物やアルコールなどの依存症回復者皆が持つ「底突き体験」に通じるものを感じている。
谷司教によれば、底突き体験とは、薬物などの使用を自分の意志や力ではコントロールできなくなり、自分の心身も他者との関係も破壊し、「行きつく果ては死しかない」状況に陥る体験を指す。

広い意味では、「死と向き合う体験をした」「今までの人生(信じてきたもの)が否定された」など、自身の人生の見方を変えた体験も含まれるという。
依存症者は、この底突きを体験して初めて、死からいのちへと、回復の歩みを始めることが可能になる。神学生の頃の谷司教は、沖縄での底突きによって、司牧者が「社会の中で隠されている問題」を見ていく必要に気付かされ、後の歩みが方向づけられた。
「信仰とは、底突き体験を通して神の存在に気付き、自分自身の足で立ち上がり、解放の主体として神と共に歩むことだと思います」
沖縄戦であらわになった差別
谷司教は司祭叙階後も毎年沖縄に通い、沖縄を通してアイヌ差別などの問題にも気付いていったという。以前から関心のあった在日コリアンや被差別部落の問題も沖縄戦の中であらわになった。
沖縄戦では、旧日本軍によって朝鮮半島から強制的に連行・動員された人々が前線で弾薬の運搬などの危険な労働に従事。そのため米軍による爆撃が始まれば、「(無防備な彼らが)真っ先に殺されました」。
また、「沖縄戦で最前線に投入された奈良、京都、兵庫など近畿地方の兵士で編成された部隊には、被差別部落の出身者が多くいました」。本土で差別に苦しんでいた若者たちが、国家の危機には「屈強な兵士」として真っ先に命の危険にさらされた。本土の差別意識は軍隊内にも持ち込まれ、理不尽な扱いを受けるなど二重の抑圧があったことが歴史研究で指摘されている。
「歴史は、ハンセン病、在日コリアン、アイヌ、被差別部落、日本の戦争にもあります。それぞれの歴史をきちんと見て、研究の進捗とともに変わってきた歴史観も学ぶことが大切です」
歴史は「今をもたらし、今から将来をどうつくっていくのかという、我々の未来につながっていく」。沖縄にある米軍基地について考える時も、今の自分と基地の関わりだけでなく、基地がもたらした過去(歴史)を踏まえることが大切だと谷司教は語る。

る真栄原地区(写真手前/同市)の上を飛ぶオスプレイ。
沖縄戦前、同市(当時・宜野湾村)は農業を中心とし
た人口1万3000人の村だったが、米軍は住民を排
除して基地を建設した。戦後も返還されず、元の集落
の住民は基地周辺への移住を余儀なくされた
旧約と新約の“はざま”にある「マカバイ記」
谷司教はまた、聖書中の「マカバイ記」はもっと重視されるべきだと語り、次のように説明を続けた。
マカバイ記の舞台は、紀元前2世紀以降のパレスチナ。「マカバイ記一」は、ユダヤの民が異教の圧政に対して起こしたマカバイ戦争の歴史的叙述に重点を置いている。
「マカバイ記二」は信仰面の叙述に力点が置かれ、復活信仰の芽生えが詳しく述べられている。復活信仰を端的に述べた箇所に、「世界の王は、律法のために死ぬ我々を、永遠の新しい命へとよみがえらせてくださるのだ」(二マカバイ7・9)などがある。
「新約聖書にキリストの復活が述べられていますが、その起源はマカバイ記での出来事、ユダヤの人々の信仰にあると言えます。マカバイ記は、キリスト者がキリスト教信仰の核心である福音、つまりキリストの復活を生きていくため、また新約を生み出した旧約の歴史を見るために不可欠です」
第2バチカン公会議前の多くの信徒や一部の神学者の間には、旧約の神を「怒りの(怖い)神」、新約の神を「愛の(優しい)神」などと区別して考える風潮があった。カトリック教会は同公会議の『神の啓示に関する教義憲章』によって、聖書が旧約と新約の両方で一つの救いの営みを表していることを再確認した。
マカバイ記は、フランシスコ会訳聖書では旧約聖書の中に位置付けられている。カトリック教会のミサで使われる新共同訳聖書では「旧約聖書続編」に含まれ、旧約聖書とは区別されている。マカバイ記を含めた旧約聖書続編全体に関して、日本では一部の研究者を除いてそれほど研究がなされていない。
谷司教は今春、詩編を読んだ際にたびたびマカバイ記を参照した。マカバイ記には、長く植民地として支配されたユダヤ民族の歴史、民衆の苦しみが書かれ、そこには沖縄の民衆と同じ思いがあると感じるからだ。
神は旧約と新約、聖書全体で救いを語られる。一人一人の内に宿る聖霊を通して救いへと導かれる。
「私はこの時代に生きる者として、神の右腕が沖縄の上にいつ伸ばされるのか、苦しみのただ中にある人たちがいつ救われるのかを、待ち望んでいます」
