「聖フランシスコ年」の同聖人記念日 没後800年をミサと行列で祝う

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「聖フランシスコ年」の同聖人記念日 没後800年をミサと行列で祝う

【ローマ10月5日OSV】10月4日午前0時、聖フランシスコの没後800年を告げる教会の鐘が、丘陵上にあるイタリアの町アッシジに響き渡った。
 今年1月10日から始まった特別聖年「聖フランシスコ年」の中で、「アッシジの小さく貧しい人」の記念日を10月4日に迎え、祝賀ムードは最高潮に達した。聖フランシスコ年の始まりには、聖フランシスコの遺骨を崇敬できるよう初めて一般に公開もされていた( https://cj-news.org/world/6051/ )。
 記念の祝祭は10月3日夜の行列で始まった。行列の後、聖フランシスコが永遠のいのちへ移行したことを記念する、フランシスコ会の伝統的な祈祷(きとう)会である「帰天祭」が、アッシジのサンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂で行われた。この聖堂には、聖フランシスコが1226年10月3日夜に亡くなった礼拝所がある。
 約3000人が、この敬愛されている聖人を記念しようと3日夜の行列に参加し、聖歌を歌い、祈りを唱えた。行列は、1226年に聖フランシスコのひつぎが運ばれた道をたどり、サンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂から、現在聖フランシスコが埋葬されている聖フランシスコ聖堂まで約3キロを歩いた。
 行列は、4日の午前0時のミサに合流した。この深夜のミサは、アッシジの聖堂の教皇特使を務めるアンヘル・フェルナンデス・アルティメ枢機卿が司式した。
 アルティメ枢機卿は、聖フランシスコの「帰天祭」の意味を振り返り、会衆に「より良く生きることは、日々、自分自身に死ぬことを学ぶことを意味します。こうして私たちは、一層完全にキリストに倣うことができるようになるのです」と語りかけた。
 「所有する物、自分の功績、自分自身に抱くイメージ」などは、最終的に大事なものではない、と枢機卿は述べ、「愛は存在し続け、キリストも存在し続けます。聖フランシスコは貧しい姿で亡くなりましたが、決してなくなることのない唯一の財産を豊かに抱いて亡くなりました。その財産とは主です」と説明した。

 「平和を築く者となるように」

 10月4日朝、イタリアの司教協議会会長のマッテオ・マリア・ズッピ枢機卿(ボローニャ教区)は、イタリアのセルジョ・マッタレッラ大統領を含む多くの人が参加したミサを司式し、フェリーチェ・アクロッカ大司教(アッシジ教区)とアルティメ枢機卿が共同司式した。
 ズッピ枢機卿は説教の中で、聖フランシスコは私たちに、「暴力と憎しみと誤解のあるところにはどこでも」、平和というたまものをもたらし、平和を築く者となるよう教え続けていると語った。
 「私たちが粗野で高慢で人の目を欺く『力の文化』に引きつけられ、誘惑される」とき、行うべきことは、「武器を手放し、心の」武装解除をすることだ、と枢機卿は続けた。
 ミサ後、聖フランシスコ修道院院長のマルコ・モローニ修道士は、現地当局と協力し、「この没後800年記念の永続的で、目に見えるしるし」として、この地域に子どものためのホスピスを設立する提案を行ったと発表した。
 「帰天祭」は10月4日の荘厳な夕の祈りとアクロッカ大司教が先導する行列で幕を閉じた。アクロッカ大司教は、聖フランシスコの「カルチュラ」の聖遺物を使い、アッシジの聖フランシスコ聖堂にある小さなドーム型の聖堂からイタリアと世界に向けて祝福を送った。「カルチュラ」とは聖フランシスコが逝去する2年前の1224年9月にフランシスコ自身が直接書きつづった小さくもろい羊皮の紙。その紙の表面には「神への賛美」が、裏面には「兄弟レオへの祝福」が書かれている。
 この特別聖年は、アッシジの聖フランシスコの没後800年を祝って、教皇レオ14世が公布し、来年の2027年1月10日に幕を下ろす。

10月4日、イタリアのアッシジで、聖フランシスコの没後800年を記念し、聖フランシスコ大聖堂の下部聖堂で夕の祈りを司式するフェリーチェ・アクロッカ大司教の到着後、行列を開始する聖職者たち(OSV News photo/courtesy Sala Stampa Sacro Convento Assisi)
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