性虐待被害者、記者会見に応じる 教皇と私的謁見後、5人が実名で
【ルルド(フランス)9月28日OSV】ルルドで教皇レオ14世と面会した、聖職者による性虐待を受けたフランス人被害者たちは、教皇の深い個人的共感と、性虐待が教会内を腐敗させるのを許した組織的問題を率直に認めた教皇の姿に感銘を受けたと語った。
9月27日に教皇と謁見した7人の被害者のうち、5人は、彼らが許可した取材陣の記者会見に参加し、教皇との謁見は良い意味で期待を裏切るものだったと答えた。名前を公表したのはベロニク・ガルニエさん、オリビエ・マルディさん、ジェローム・ギユマンさん、ベルトラン・ビリユさん、ジャンマリー・デルボさんの5人。
教皇庁(バチカン)によると、教皇は男性4人、女性3人の計7人の被害者と個別に面会し、その後全員で集まったという。「教皇は彼らに寄り添いを表し、彼らを通して、性虐待による傷に苦しんだ、また今も苦しんでいる全ての人々に寄り添いを示している」とバチカンは声明で発表した。
ノートルダム・ド・ベタラム寄宿舎学校に通っていた子ども時代に性虐待を受けたデルボさん(80)は、60年前にカトリック教会から離れたが、教皇との謁見時の感情に圧倒されたと語った。
「教皇は私の状態をご覧になり、両腕で抱きしめてくれました」「教皇が私を抱きしめてくれるなんて、想像もしていませんでした。特別な瞬間でした」と振り返った。
性虐待は教会の組織的問題でもある
もう一人、十代の頃に教区司祭から性虐待を受けたギユマンさんは、現在はフランスのカトリック学校と協力しながら被害者の会を率いている。ギユマンさんは、教皇に「終わりのない訓練や手順を通しての」予防策に注力するのではなく、変化しつつある文化の実態に根差した予防策を策定するよう訴えた。
さらにギユマンさんは、教皇は、聖職者による性虐待が続くのを許してきた組織的な体質について、とても明確な意見を持っていたとも述べる。
「教皇の見解では、性虐待加害者は個人であることは当然ですが、虐待の場を提供し、加害者の虐待を許してきたことは、教会という組織内の構造にも問題があり、それは過去の構造でしたが、教皇の目には今もまだその問題がはっきりと映っていました」とギユマンさんは述べる。
「その見解は、特に私に力強く刺さりました。というのも、教皇が繰り返し話されているように、この組織的な問題がどれほどまん延しているのかを強調されていたからです」
「教皇は繰り返し、たとえフランスで大きな取り組みがなされたとしても、――そしてそこには教皇自身の十分な働きかけがあることも認識されていますが――それでもなおフランスの教会は今でも実践すべきことがまだまだあると強調されていました」
記者から、教皇が性虐待は組織的問題であると正式に認めたのかと問われ、ギユマンさんは「もちろんです」と答えた。
教皇は、加害者は「個人であり、明らかに個人に責任がある」と強調したが、「加害者が犯罪を繰り返すことができたこと、またできることは組織的な問題だ」と述べていた、とギユマンさんは思い起こす。
「そして教皇は『過去形でお話ししましたが、この組織的問題は、現在でもいまだに存在することなのです』とも言われました」
教皇は真摯に耳を傾けていた
さらにもう一人、ナンシー教区の司祭に性虐待を受けたガルニエさんは、ルルドでの教皇によるミサに参加し、鳴り響く音楽と群衆に圧倒されてしまい、教皇との謁見に懐疑的であったことを認めた。
けれども対照的に、ガルニエさんは私的謁見を「ある意味、普通の方との出会い」だったと語った。謁見は予定よりも早く始まったため、ガルニエさんは、「言いたいこと全てを言える時間が増えたことに安心し、喜びを感じました」と述べた。
「教皇はとても、とても存在感がありましたが、温和で率直な方でした」と振り返る。「クッキーを勧めてくださる時もあり、心休まる時間となり、変化を起こせるという希望を見いだせる時でした」
教皇は「真摯に耳を傾けてくれた」と彼女は続け、それは「実際の行動に結び付くことのない聞こえがいい言葉を表面的に並べるだけではありませんでした」と述べた。
性虐待の組織的問題について、ガルニエさんは教皇に、フランスの司教団の「フランスの教会は組織的問題を乗り越えた」という判断には同意できないと伝えたという。
「私は教皇に『それは違います。まだ乗り越えてはいません』と伝え、教皇はそのことをよく分かっておられました」
「筋金入りの無神論者」十字架を切る
冒頭のデルボさんは、65年前に性虐待を受けて以来、カトリック教会から離れ、自身を「筋金入りの無神論者」と呼ぶ。
しかし、デルボさんはルルドでの教皇ミサに出席できたことに驚き、「深く感動した」と認め、教皇との謁見中には、より一層感動を覚えたと語った。
「十字架のしるしをするなんて、私からすれば期待できなかったことです」とデルボさんは取材陣に答えた。「けれども、教皇が私たちを集め、『皆さんを祝福します』とおっしゃったとき、十字架のしるしを自然に行っていたのです。私のような筋金入りの無神論者にでさえ、教皇は65年前ぶりに、十字架を切るようにさせたのです」
性虐待の痛みは、一生続くだろうとデルボさんは語るが、その一方で、「教会とはどのようなもので、この教皇はどのような人物なのか」について新たな見方ができたと認めた。
デルボさんは、彼に性虐待を行った神父は、その修道会で「昇進」さえし、罰せられることもなかったと教皇に訴え、修道会の解散を求めた。
「修道会の解散はすぐにできないことを理解しています。ただその可能性は、間違いなく検討されるでしょう」「教皇は耳を傾けてくれました。私のような不運な人間が言うことに、教皇が耳を傾けてくれたことだけで、大きな自信を取り戻せたと認めざるを得ません」
「今後どうなるか見守ります」と最後にデルボさんは語った。

