十字架の道行と聖金曜日の典礼 イエスの足跡をたどる生き方を

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十字架の道行と聖金曜日の典礼 イエスの足跡をたどる生き方を

【ローマ4月3日CNS】人生はイエスが歩まれた足跡をたどろうとする旅路として生きらなければならない、と教皇レオ14世は4月3日夜、ローマ市内のコロッセオで十字架の道行を終えた後、語った。
 「聖フランシスコの祈りを自分のものとしましょう。聖人は、御父と御子と聖霊を一つに結び付ける愛の交わりに、よりいっそう深く関わる旅路として人生を祈りのうちに歩むよう私たちを招いています」
 教皇が十字架を掲げながら、十字架の道行の全14留を巡るのは1994年のヨハネ・パウロ2世以来となった。
 教皇は3月31日、記者団に、十字架を掲げて全14留を巡るのは、「現代の霊的指導者としての教皇職を示す上で、またキリストは今でも苦しんでおられるというメッセージを示す上でも重要なしるし」となると語っていた。
 2026年はアッシジの聖フランシスコの没後800年に当たるため、教皇は、2016年から2025年までフランシスコ会聖地管理特別管区長を務めたフランチェスコ・パットン神父に、今年の十字架の道行のための黙想の指導の執筆を依頼した。
 聖フランシスコは常に、信者たちに、イエスの足跡をたどるよう招いていた、とフランチェスコ神父は記した。十字架の道行を巡ることが、「単なる慣習や知的な旅にとどまらず、私たちの全人格と人生を変えるもの」となるように、との祈りを導入部に記した。

 最後に打ち勝つのは「愛の力」

 第1留「イエス、死刑を宣告される」には、「権力を持つ全ての人は、その権力をどのように振るったのかを神に説明しなければならなくなる」と記した。
 なぜなら人々は、戦争について判断し、始めることも終わらせることもできる権力、暴力か平和かを選ぶ権力、復讐をあおることも和解を促すこともできる権力、人々を抑圧するのか、困窮から解放するために経済を利用するのかを考える権力、人間の尊厳を踏みにじることも守ることもできる権力、いのちを何よりも優先して守ることも、虐げて死に至らせることもできる権力を持っているからだと同神父は書く。
 第8留「イエス、エルサレムの婦人を慰める」では、歴史を通して涙を流してきた女性たちに触れた。「何世紀にもわたり、女性たちは自分たちのために泣き、また自分の子どもたちのために涙を流してきました。彼女の子どもたちは、デモの参加中に連れ去られ、勾留され、思いやりを欠く当局に送還されたり、希望を求めていたはずが船の沈没によって絶望的な旅路となったり、戦闘で殺害されたり、強制収容所で消し去られたりしていたのです」「主よ、私たちの良心が無関心の霧に消え入らないように、そして私たちが十分に人間的であることを諦めないように、もう一度私たちに涙を与えてください」と願った。
 第10留「イエス、衣をはがされる」では、拷問、プライバシーの侵害にまで及ぶ監視、性暴行、虐待などの現代でも繰り返される多くの形態の侵害について書かれた。その中には「エンターテインメント業界が利益のために裸体を搾取していること、メディアが個人を世間にさらすこと、私たち自身でさえ、興味本位から、他者の慎み深さ、親しい関係、プライバシーを尊重できないこと」が含まれる。
 第11留「イエス、十字架につけられる」では、真の力は、ゆるすことであり、「平和のうちに人生の困難を耐えることに根差します。なぜなら、最後に打ち勝つのは力の愛ではなく、愛の力だからです」とパットン神父は強調した。
 「主よ、私たちが他者の尊厳を認められないときはいつでも、私たち自身の尊厳が傷つけられているのだと思い起こさせてください。いかなる人に対する非人道的な扱いも、大目に見たり、それに加担したりしたときにはいつでも、私たち自身も人間性を欠いているのだということを思い起こさせてください」と続けた。
 十字架の道行の終わりに、教皇レオ14世は祝福をし、フランチェスコ神父が書いた祈りを繰り返して願った。「神よ、惨めな私たちに、あなたのためだけに、あなたが私たちに望まれていると分かっていることを行い、あなたを喜ばせることを常に願う恵みをお与えください」
 最後に「内面から清め、心の内を照らし、聖霊の炎によって燃え上がらされ、あなたの愛する御子、私たちの主イエス・キリストの足跡をたどることができますように。またあなたの恵みによって、あなたのもとへと続く道を歩むことができますように」と祈った。

 主の受難の典礼

 十字架の道行の前に、教皇は、キリストの受難と十字架上の死を記念する主の受難の典礼を司式した。
 この典礼は、教皇が中央の会衆席を静かに行列することから始まった。キリストの受難を象徴する赤色の祭服に身を包み、賛美と悔い改めのしるしとして、祭壇の前で床にひれ伏した。この日の朗読は、キリストの受難と十字架上での死を詳しく読み上げた。
 十字架称賛の時に、教皇は謙遜のしるしとしてカズラを外し、靴を脱いで十字架の前にひざまずいた。聖職者たちもそれに続いて、一人ずつ十字架の前でひざまずき、十字架に口づけし敬意を表した。
 伝統に従って、教皇公邸管理部のカプチン・フランシスコ会士、ロベルト・パソリーニ神父がミサの説教を担当した。

4月3日、バチカンの聖ペトロ大聖堂で司式した「主の受難」の典礼の始めに、床にひれ伏した教皇レオ14世 (OSV News photo/Simone Risoluti, Vatican Media)
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