聖木曜日主の晩餐のミサ説教 イエスのうちに示された模範
【ローマ4月2日CNS】神は、勝利を保証するために存在しているのでもなく、富や権力をもたらしてくれる役立つ存在というわけでもない、と教皇レオ14世は4月2日、聖木曜日の主の晩餐(ばんさん)を記念するミサ説教で強調した。ミサは従来の伝統にのっとりローマのラテラノの聖ヨハネ大聖堂でささげられた。
神はイエスを通して、人間の心を変えつつ、自らを差し出し人間に仕える。そうして、人間の心は無条件に他者を愛するように変えられていくと、教皇は続ける。
「イエスは私たちが持つ神のイメージ――そのイメージをゆがめた偶像崇拝や神への冒涜(ぼうとく)――と共に、私たちが持つ人間のイメージも清められます。なぜなら、私たちは、支配すると自分には権力があると考え、同じ立場の人を打ちのめすと自分は勝利したと考え、恐れられると自分は偉大だと考えてしまう傾向があるからです」
それでも教皇は「キリストは私たちに、自らをささげ、仕え、愛する模範を示しておられ」、そうして人間はその真の愛に従って、愛する方法を学ぶことができる、と語った。
事実、イエスの行いに倣うことは、「生涯にわたって取り組むべきもの」だ、と続けた。
主は、主が出会う人が善良や純粋な人であるから愛するのではなく、そもそも「主は初めから私たちを愛されている」のだと、教皇は強調する。
「主の愛は、私たちが主のいつくしみを受け入れた見返りではなく、主が私たちを愛されているからこそ、私たちを清めてくださり、そうして私たちが主の愛に応えられるようにしてくださるのです。つまり、主は見返りを求められずに、そのたまものを私たちの間で分かち合うことを望まれているのです」
教皇は続けて、「イエスのうちに神は私たちに模範を示されます。支配の方法ではなく解放する方法を、いのちを奪う方法ではなく、いのちを差し出す方法の模範です。人間は非常に多くの残虐行為によって屈服させられています。私たちも兄弟姉妹として、抑圧を受けた人々と共にひざまずきましょう。そのようにして、私たちは主の模範に倣えるようになるのです」と教皇は説明する。
聖体と叙階の本質的なつながり
この聖木曜日のミサは、イエスが聖体の秘跡と司祭職を制定したことを記念する。その中には伝統的な洗足式も含まれ、互いに仕え合うことによって、キリストに倣おうとする呼びかけが示されている。
洗足式で、教皇は12人のローマ教区司祭の足に、金色の水差しから水を注ぎ、タオルで拭い、優しく口づけをした。
昨年教皇が叙階した司祭11人を含む12人の司祭を洗足式に選び、教皇レオ14世は、聖体と聖職叙階の秘跡の制定を記念するこの聖木曜日のミサの意味を強調した。
「聖体と叙階の二つの秘跡の間にある本質的なつながりは、大祭司であり、生きておられる永遠の聖体であるイエスの完全な自己奉献を明らかにしています」と説明した。

