枝の主日のミサとお告げの祈り 主の受難、重なる現代の苦しみ
【バチカン3月29日ОSV】教皇レオ14世は、教皇就任後初となる受難の主日(枝の主日)のミサの説教で、平和の君であるイエスは人類の歴史の中で引き起こされた全ての苦しみを抱きとめ、十字架上から戦争の終結を求めて叫んでいる、と語った。
「兄弟姉妹の皆さん、これが私たちの神です。平和の君であるイエスは戦争を退けられます。ですから、誰も戦争の正当化のために主を利用することはできません」と教皇は3月29日、サンピエトロ広場に集まった人々に訴えた。
「主は、戦争を始める人の祈りを聞き入れず、それらの祈りを『どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない。お前たちの血にまみれた手を』(イザヤ1・15)と言われ、退けられます」
教皇レオは説教の中で「平和の君」という言葉を7回使用し、キリストの受難のさまざまな場面に触れて繰り返した。そしてイエスは不正義な暴力の犠牲者で、自分を守るために武器を取ることは一切なかった、と指摘した。
「平和の君であるキリストは、十字架上から再び叫んでおられます。神は愛です!いつくしみを持ちなさい!武器を置きなさい!あなたがたは兄弟姉妹なのだと思い起こしなさい」
十字架につけられることを甘んじて受け入れたイエスは、「人類の歴史のあらゆる時代と場所で担われた十字架を全て」受け止める、と教皇は強調した。
「私たちのために十字架につけられたイエスにまなざしを向け続ける中で、十字架につけられた人類の姿が重なります。主の傷のうちに、非常に多くの現代の人々の痛みを感じます」と教皇は述べた。
「主の御父への最後の叫びの中に、押しつぶされた人、希望を失った人、病気の人、独りぼっちの人のすすり泣く声を聞きます。何よりも、暴力によって抑圧され、戦争の犠牲となった全ての人々の痛ましいうめき声を聞きます」
ラテン語で唱えたお告げの祈り
晴れ渡った空の下、バチカンのサンピエトロ広場で、枢機卿、司教、信徒が大きなシュロの葉を掲げて進む、荘厳な枝の主日の行列を行い、教皇に就任して初めての聖週間が始まった。
ミサでは、マタイによる主イエス・キリストの受難(27・11-54)の個所が厳粛に朗読された。そしてイエスの死の瞬間、教皇と同広場に集まった何万人もの人々はひざまずいて祈り、広場は静まり返った。
ミサの終わりに、教皇レオ14世は人々をラテン語でお告げの祈りを唱えるよう導いた。これは聖地のキリスト者に対する熱のこもった訴えだった。聖地ではラテン典礼エルサレム総大司教座が、戦時の制限により、枝の主日を含む主要な聖週間の典礼が中止や延期に追いやられているためだ。
同総大司教座は3月29日、ピエルバッティスタ・ピッツァバッラ枢機卿とフランシスコ会聖地管理特別管区長、フランチェスコ・イェルポ神父が、枝の主日に聖墳墓教会に入るのを、イスラエルの警察に止められたと発表した。
「聖週間の初めに、私たちの祈りはかつてないほど、残虐な紛争によって苦しみ、聖週間の典礼に完全に参加できないでいる多くの中東のキリスト教信者と共にあります」と教皇はお告げの祈りで述べた。
教会がちょうど主の受難の神秘を観想する今日、私たちは現代において、主と同じ苦しみを分かち合っている人々のことを忘れることはできません。その人たちの苦難は私たちの良心に訴えかけてきます」と教皇は付け加えた。
またミサの説教の中で、教皇は「神の僕」であり、湾岸戦争の時に声を上げたイタリア出身の尊者、アントニオ・ベッロ司教(1993年にがんで死去)の言葉を引用した。「『聖母マリア、私たちに確信を与えてください。あらゆる状況にもかかわらず、死はもはや私たちを支配せず、人々への不正義が記録され、戦争の閃光は薄明に消え入り、貧しい人の苦しみは終わりを迎えるのだという確信を。最後に、暴力の全ての犠牲者の涙と苦痛が、春の日差しの下の霜のように、すぐに乾くのだという確信を与えてください。』」

