神の恵みは力に支配されない 教皇、希望の聖年を閉幕させる

【バチカン1月6日CNS】神の恵みと友愛、新しい夜明けを迎える意志を、力や暴力でねじ伏せることはできないと、教皇レオ14世は強調する。
 「私たちが目の当たりにしているのは、ゆがんだ経済があらゆることから利益を搾り取ろうとするありさまです。市場経済は、探し求めて、旅をして、再出発しようという人の望みを単なるビジネスにしています」と教皇は1月6日、「主の公現」の祭日に、バチカンの聖ペトロ大聖堂でささげたミサで指摘した。このミサで希望の聖年は公式に閉幕した。
 「自問してみましょう。私たちは聖年の教えによって、あらゆるものを商品にして、人間を消費者にするだけの効率主義から抜け出せたでしょうか」と教皇レオは問いかける。「この聖年を終えて私たちは、訪れる人を巡礼者として、見知らぬ人を探求者として、遠くから来た人を隣人として、自分と違う人を旅の仲間として認めることができるようになるでしょうか」
 教皇レオはミサの前に、同大聖堂の「聖なる扉」の敷居に立ち、両側の扉を引いて閉じた。聖なる扉は次の聖年まで封印される。2033年になると見込まれる次の聖年では、イエスの死と復活から2000年を祝う。
 ローマの4大聖堂で最後の扉が閉じられたが、神のいつくしみの「門」は決して閉ざされることはないと、教皇は聖なる扉を自ら閉じる前に強調した。神は「常に疲れた人を支え、倒れた人を助け起こして」、ご自分に信頼する人々に「良いもの」を与えてくださると、教皇は付け加えた。

 主の公現は「無償のたまもの」
 
 教皇レオ14世はミサの説教で、聖年の間にローマを訪れた数百万の巡礼者たちを現代の「東方三博士」になぞらえた。
「そうです。東方の三博士は現代にもいます。その人たちは、今の時代のように多くの意味で不都合や危険を伴う世界で、あえて旅をする困難を顧みることなく、出かけて行って探す必要を感じているのです」
 ただ、教皇レオは注意を促す。現代の探求者も、今日の教会や聖地に、ベツレヘムで東方三博士が見いだしたのと同じ、いのちと希望と喜びの謙遜な源を見いださなくてはならない。
 「とても大切なことは、教会の扉をくぐる人々が、生まれたばかりのメシアをその中で感じ取り、集まっている共同体の中で希望があふれて、いのちの物語が紡がれるのを認めることです」と教皇は強調する。
 「イエスは全ての人と出会い、ご自分のそばに近づかせました」と教皇レオは続ける。「主はご自分の存在を私たちの間でもっと知らせたいと望まれています。私たちと共にいる神となられたいのです」
 「これは売り物ではありません。東方の三博士たちが拝んだ幼子の善は値踏みなどできず、計り知れないのです」と教皇は説明し、人間の自由と真の豊かさを求める望みを利用し、商品化さえしようとする「ゆがんだ経済」を批判した。
 神がご自分を人間として示された「主の公現」は「無償のたまもの」だと教皇レオは強調する。「主はご自分を現され、ご自分を見いださせたのです」

教皇レオ14世は1月6日、バチカンの聖ペトロ大聖堂の「聖なる扉」を閉じて、聖年を公式に閉幕させた(CNS photo/Vatican Media)


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