【バチカン12月15日CNS】たとえ困難な状況にあり、刑務所のような過酷な場所にいても、人々が互いに思いやりを示して、尊重し合い、ゆるしを与えることに徹するなら、「苦しみと罪の固い地面から美しい花々が開きます」と教皇レオ14世は指摘する。
待降節第3主日の12月14日、「喜びの主日」に当たってバラ色の祭服を着けた教皇は、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、聖年の「受刑者の祝祭」のミサをささげた。
イタリア、スペイン、ポルトガル、マルタ、チリからの成人と若者の受刑者や元受刑者が、看守や教誨(きょうかい)師に伴われてミサにあずかり、他の85カ国からの代表者も参加していた。この祝祭は、クリスマス前と来年1月6日の閉幕前で最後の聖年の行事となる。
教皇レオ14世はミサの説教で、刑務所で暮らし、働く生活には困難が伴うことを認め、「どれほど良い意向を持っていても、多くの障害に遭遇する可能性があります」と指摘した。
それでも、受刑者と刑務所のスタッフ、家族は決して諦めてはいけない、と教皇は強調する。「どんな人も過去の行いに至った時と全く同じ人間ではなく、正義とは常に修復と和解の過程なのです」。
刑務所や拘置所、拘留施設は、過密な収容の問題の解決や「社会復帰のための安定した教育プログラムと就労機会を確保する取り組みが依然として不十分」だと教皇は指摘する。
主は私たちと共に歩まれる
「より個人的なレベルで」、受刑者や全ての関係者は「過去の重荷、心身共に癒やすべき傷、失望、回心の道を歩み始める際に自己と他者に求められる限りない忍耐、諦めたり、ゆるしを放棄する誘惑のことも忘れてはなりません」と教皇は呼びかける。
しかし主は、「全てを超えて、大切なことはただ一つであることを私たちに繰り返し告げ続けます。それは一人も失われてはならないこと(ヨハネ6・39参照)、そして、全ての人が救われる(一テモテ2・4参照)ことです」。
教皇レオは続ける。「誰一人として失われることがありませんように。全ての人が救われますように。これこそが神の望みです。これこそが神の国です。これこそが世における神の業の目的です。降誕祭が近づく中で、私たちも揺るぎない決意(ヤコブ5・8参照)と信頼をもって、ますます強く神の夢を共に抱きましょう」
「私たちは、どんな困難を前にしても一人きりではないことを知っているからです。『主はすぐ近くにおられます』(フィリピ4・5)。主は私たちと共に歩まれます。主が私たちのそばにおられるとき、常に何か素晴らしこと、喜ばしいことが起こるのです」と教皇は説教の言葉を結んだ。

