教皇の一般謁見講話 イエスの癒やしの力を信じる

【バチカン6月25日CNS】絶望や疎外感、失意に襲われても、恐れることなくイエスに向かい、主の愛の癒やしの力を祈るよう教皇レオ14世は勧める。
 「私たちの時代に大きく広がっている病は生きることへの疲れです。現実は私たちにとって、あまりにも複雑で重く、向き合うのは難しいように思えてしまいます」と教皇は6月25日、バチカンのサンピエトロ広場で開いた夏休み前で最後の一般謁見で指摘した。次の一般謁見は7月30日まで開かれない。
 「時に私たちは、他人に勝手にラベルを貼ろうとする人々の決めつけによって邪魔されているように感じることがあります」と教皇は続ける。「そうなると私たちは考えるのをやめてしまい、眠りこけて起きてみれば、事は変わっていると思い込んでしまいます」
 「しかし現実と向き合わなくてはなりません。そしてイエスと一緒なら、うまくいくはずです」と教皇は信者たちを励ます。
 教皇レオ14世は今回の講話で、「マルコによる福音書」(5・21〜43)に記されている死の床から目覚めるヤイロの娘とイエスの服に触れて長年の出血を癒やされる女性の物語について話した。
 この二つの奇跡は、「イエスへの信仰から生まれる癒やしの力を示しています」と教皇は、自ら読み上げた英語による講話の要約で指摘した。
 「この福音の二つの物語が私たちに教えるのは、恐れずに祈りのうちにイエスに向かい、主の愛の癒やしの力に自分自身を委ねることです。主の愛は明らかに望みのない状況を変えて、死からさえも、いのちをもたらすのです」

 「私たちの希望」イエスに近づく勇気
 
 教皇レオ14世はイタリア語の講話で説明する。「永遠のいのちである神にとっては、肉体の死は眠りのようでしかありません。真の死は魂の死で、これこそを私たちは恐れなければならないのです」
 イエスはヤイロの娘を生き返らせた時、「食べ物を少女に与えるようにと言われた」。このことは今日の親たちに重要なメッセージを伝えている、と教皇は注意を促す。
 「子どもたちが危機的な状況にあって、霊的な養いを必要としている時、私たちは何を与えたらいいのか分かっているでしょうか。そして私たち自身が福音によって養われていなければ、どうしてそれが分かるでしょうか」と教皇は問いかける。
 長年の出血に苦しんでいた女性は周囲から非難され、隠れて孤独に暮らすよう仕向けられていたと教皇は指摘する。「時として私たちも周囲からの決めつけに遭うことがあります。私たちに自分の物ではない服を着せようとするのです。そして私たちはそのことに苦しみ、抜け出すことができなくなってしまいます」
 ただ、この女性は勇敢で信仰があり、群衆の中に分け入ってイエスに触れ、その結果として癒やされる、と教皇は強調する。群衆の中で他にイエスに触れた者は同じような変化を体験することはできなかった。信仰がなかったからだ。
 「おそらく今日でも、多くの人は表面的にイエスに近づくだけです。主の力を真に信じてはいないのです。私たちは表面的に私たちの教会に足を踏み入れているだけで、たぶん私たちの心は別の所にあるのです」と教皇は警鐘を鳴らす。
 「この無言で名前も分からない女性は、自分の恐れを克服して、自らの手でイエスのみ心に触れます。その手は病気のために汚れているとされていたのです。そして彼女は直ちに癒やされます。イエスは彼女に言われます。『あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい』(マルコ5・34)」
 「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、人生の中では絶望や失意の時があり、誰かの死を体験することもあります。この女性から、少女の父親から学びましょう。イエスに向かって行きましょう」と教皇は信者たちに促す。
 「主は私たちを癒やすことができます。私たちを生き返らせることができます。イエスは私たちの希望です」と強調して、教皇レオ14世は講話を結んだ。

6月25日、バチカンのサンピエトロ広場で開いた一般謁見の前に、広場をパパモービレ(教皇専用車)で巡って、子どもにあいさつする教皇レオ14世(CNS photo/ Lola Gomez)
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