パリのサクレ・クール聖堂150年 都市の傷口に置かれた石のホスチア

【パリ6月16日OSV】かつて作家エミール・ゾラが「都市の開いた傷口の上に置かれた石のホスチア」と呼んだフランス・パリの有名な小バジリカ「サクレ・クール」聖堂は、定礎から150周年を迎えた。
 6月15日、同聖堂の誕生日を盛大に祝うため、首席司祭が「教会の生きた礎」と呼ぶ200組の家族がモンマルトルの丘の上にある同聖堂に集まり、祈りと黙想会で「イエスのみ心」に奉献されたお祝いの日を記念した。
 モンマルトルの丘の頂上にそびえる同聖堂の最初の礎石は、正確には1875年6月16日に据えられた。同聖堂が完成し、献堂されたのは1919年。現在はパリで必見の観光スポットとなっている同聖堂は、フランス東部パレルモニアルでキリストが出現してから200年後に「イエスのみ心」をたたえて建てられた。出現したイエスは聖母訪問会修道女の聖マリア・マルガリタ・アラコクに、ご自分の愛とご自分も愛されたいという望みのしるしとして、ご自分の心臓を示した。
 1900年代のいわゆる「ベル・エポック」(美しい時代)には、モンマルトルの周辺は芸術家の集まる場所となり、「ムーランルージュ」などのキャバレーがあることでも知られた。サクレ・クール聖堂の建設中には、画家のアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックやパブロ・ピカソも、このかいわいに住んでいた。

 140年間続いてきた永久聖体礼拝
 
 「高台の上、澄み渡る空の中に、サクレ・クールが姿を現し始めた。まるで巨大なメレンゲのような姿で。それは都市の開いた傷口の上に置かれた石のホスチアだった」とフランスの作家でジャーナリストだったゾラは、建設時に小説『パリ』の中で書いていた。
 今日では、同聖堂の有名な白いドームは、パリ市内のあらゆる所から望め、地上83キロの高さからパリの地平線を支配する。同聖堂は光の街パリの紛れもないシンボルとして、フランスで最も写真撮影の多い建造物の一つとなっている。聖堂前に至るまでに222段の階段があり、永久聖体礼拝が今も続いている。
 「建設中には、女性たちは石が空に向かって積み上げられていくなら、祈りも昇っていくはずだと話していたといいます」と同聖堂の首席司祭を務めるステファヌ・エスクレフ神父は語る。「少しずつ、イエスのみ心と主のご聖体のうちの現存の間の結び付きが生まれて、聖体礼拝が行われるようになりました。1885年の8月1日から永久聖体礼拝が始まりました」
 今年8月1日には、永久聖体礼拝が始まってから140周年が祝われる。聖体礼拝は日夜欠かさず、両世界大戦の間も決して途切れることはなかった。

パリのモンマルトルの丘の上に建つサクレ・クール聖堂。「都市の開いた傷口の上に置かれた石のホスチア」と呼ばれた同聖堂は、今年6月15日に定礎150年を迎えた(OSV News photo/Abdul Saboor, Reuters)



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