
神を求めるように、天に向かって
力強く伸びる手が印象的だ
南宮崎教会(宮崎市)信徒で歌人の大口玲子(りょうこ)さん(56)は、昨年のクリスマスに歌集『スルスムコルダ』(ふらんす堂)を出版した。「スルスムコルダ(SURSUM CORDA)」とはラテン語で、「心を上に」という意味だ。
本書には2024年の1月1日から12月31日まで、大口さんが毎日詠んだ366日分の短歌を収録。普段見過ごしてしまいそうな日々の出来事や家族への愛、いのち、社会問題への思いなどを信仰のまなざしを通して、五七五七七の中にすくい上げている。
イエスとの出会いは中国で
大口さんは東京出身。朝日新聞の歌壇に投稿していた高校時代、俵万智さんの歌集『サラダ記念日』がベストセラーとなり、短歌への関心をさらに深めた。
「新聞の短歌欄をよく読んでいました。全国から寄せられた短歌を読んで、今は田植えの時期なんだな、夏になると戦争の歌が増えるんだな、とか感じていました」
大学入学後、二十歳の時に歌人の佐佐木幸綱さんが主宰し、俵さんも所属する歌誌「心の花」に入会。卒業後は、研修を経て日本語教師として中国の大学に派遣される。イエスと出会うきっかけは、一人の教師仲間の存在だ。
「経験もさまざまな5人が教師団として派遣されたのですが、団長の女性教師がとても素敵な人だったんです。大変なことは自分が引き受けるし、文法の勉強会を開いてくれたり、それぞれの能力に見合った仕事を提案してくれたりしました」
大口さんはある日、その人が中国人の学生に「ねえねえ、この近くにカトリック教会はないの?」と声をかけているのを目にした。「この先生が上品で素敵な秘密は、カトリック教会にあるんじゃないか」と感じ、「イエス様への憧れ」を植え付けられたのだという。
そのほかにも、歌誌の先輩であり長崎で被爆した竹山広さん、インドネシア人の義理の姉もカトリック信者で、大口さんは尊敬を寄せていた。この三人の影響を受け、大口さんは信仰に導かれていく。
30歳で大学の同期生と結婚し、夫が住む仙台に転居。入門講座を経て、息子を出産する直前の2008年の復活祭に仙台カテドラルで洗礼を受けた。
震災で知った「生きていること」のもろさ
大口さんは1998年に第一歌集を出版し、歌人としてのキャリアを重ねていったが、2011年に大きな転機が訪れる。東日本大震災だ。
「たまたま家族で自宅にいて、(仕事に出かける)夫に『行ってらっしゃい』と言ったところで地震が来ました」
住んでいたマンションは半壊、津波の影響はなかった。しかしライフラインは全て止まり、多少の備蓄はあったものの、温かい食事を取ることができない。「お風呂も携帯もテレビも使えず、コンビニに行っても全て売り切れていました。スーパーには店の周りに2周も列ができていました。(2歳の)息子を連れて並びましたが、購入できるのは一人2千円以内。お金があっても食べ物が手に入らない体験をするとは思っていませんでした」
ライフラインがいつ復旧するか分からない状況の中、近くの海岸には、津波の犠牲者の亡きがらが多数上がっているという情報が入る。「一瞬でこういう状態になるんだ、生きていることはもろいんだと知りました」
大口さんの「いのち」への価値観が、大きく変えられた体験だった。
腹をくくる
震災を機に、西日本の各地に避難しながら大口さんがたどり着いたのは、現在も暮らす宮崎市。
「移住してきたあたりから、飢え乾くように神様を本当に求めるようになりました」
震災や原発事故を経験している自分が、ここでできることは何か。「明日同じこと(原発事故)が起きないとは限らない」との思いから、大口さんは鹿児島県の川内(せんだい)原発差し止め訴訟の原告団に加わり、デモに参加するなど社会運動に関わるようになった。
「(苦しめられているいのちがあることを)知ってしまった以上、イエス様の前で黙っていることはできない」と、社会的な歌がさらに増えた。例えば、沖縄・辺野古の新基地建設への思いをこう詠んでいる。
「海底に金属の杭打ち込まれゆかむ午後 海の声は聞かれず」(『スルスムコルダ』)
大口さんはこれまでは歌作りには宗教的な要素を出さないようにしてきたが、『スルスムコルダ』では「腹をくくった」と話す。
「毎日1首、正直に取り繕うことなく詠んでこの歌集を出して、信者、社会活動家、歌人、母としての自分がうまく収まってすっきりしました。信者ではない歌人にも信仰の歌に目を留めてもらえましたし、心を込めて作ればみんなに読んでもらえることが分かりました」
教会では典礼の学びなどの信徒有志の活動のほかに、昨年4月からはイエスと共に歩む「エマオ短歌会」を始めた。短歌を詠むコツは、という記者の質問に大口さんはこう答えた。
「(自分が何かを感じたら)どうしてそう思ったのか、場面を丁寧に描くのがコツです。言葉は(五七五七七の形式になっていれば)自由に、新しい言葉でも、地名でも、聖書の言葉でもいいんです。短歌は今見たこと、思ったことをいつでも詠むことができます。自分の思いが整理されてなかったとしても、整理されていない思いを詠むことで自分の思いに気付くこともありますから」

