大正末期から昭和初期にかけ、幅広い分野で日本の教会に貢献した岩下壮一神父(1889~1940年)の生涯を回顧する特別展が、東京・渋谷区の聖心女子大学で開かれている。今年は岩下神父の司祭叙階100周年に当たり、展示には今年新たに発見された叙階に関する事柄や、未発表資料も含まれる。
岩下神父は、日本が第2次世界大戦へと向かう時代に、カトリックの教理を多くの人に伝えようと出版事業を起こし、青年たちの中にキリスト教的価値観を育てるため聖フィリッポ寮(後の真生会館/東京・新宿区)を創設した。草創期の「日本カトリック新聞」の役職に就いて尽力したほか、「温情舎小学校」(後の不二聖心女子学院/静岡・裾野市)の初代校長にも就任。ハンセン病療養所「神山(こうやま)復生病院」(静岡・御殿場市)では第6代院長となり、療養者から「おやじ」と呼ばれ慕われた。
東京帝国大学哲学科を優秀な成績で卒業した壮一は、将来を期待された知識人だった。洗礼は暁星中学校の在学中に受けたが、司祭になることを考えたのは30歳で留学した欧州(フランス、英国、ベルギーなど)でのこと。本展では、留学先で偶然に出会ったイエスの「聖心(みこころ)」に関する一連の体験が、壮一の内面を動かした経緯も掲示されている。
ローマで学びながらベネチアで叙階された理由はこれまで解明されていなかったが、今回の特別展を共催した聖心女子大学キリスト教文化研究所所長の加藤和哉さん(同大学哲学科教授)が今年2月に現地で調査し、その理由に迫る新資料を得た。そこからは岩下神父と、その洗礼名の聖人、聖フランシスコ・ザビエルとの深いつながりも見えてきた。
加藤さんは言う。「岩下神父はあの時代に、信者と信者でない若い人々に働きかけて、日本社会全体をカトリック化しようという大きなビジョンを持っていました。岩下神父が何を目指していたかを学ぶことは、現代の教会にとっても大きな示唆を与えてくれると思います」
本展では、岩下神父の自筆のノートや日記、手紙などのほか、当時の貴重な写真も見ることができる。会場は1室だが展示内容は密度が濃い。
展示は2期に分けて行われ、生い立ちから留学、司祭になって帰国するまでを取り上げた第1期の展示が9月22日まで。第2期は帰国後に復生病院の院長を経て亡くなるまでに焦点を当て、9月26日から12月23日まで同じ会場で行われる(入場無料。月曜~土曜午前10時~午後5時、日曜・祝日休館)。詳しくはこちら「岩下壮一という多面体~20世紀のフランシスコ・ザビエル~」。

聖心女子大学4号館/グローバルブラザの展示会場BE*hive〈ビー・ハイブ〉