「摩文仁(まぶに)」とは、沖縄戦(1945年)で激戦地となった沖縄島南端の地域の名だ。毎年6月23日の「慰霊の日」、摩文仁の丘では首相や沖縄県知事らが参列する追悼式典が行われ、テレビ中継される。多くの慰霊碑が林立するこの丘には、沖縄県民のほか元日本軍兵士、自衛隊や米軍の関係者、朝鮮半島出身者などさまざまな人々が慰霊に訪れる。
本作は、ジャーナリストとして中東やウクライナなどの紛争地や沖縄で取材を重ね、テレビ番組やドキュメンタリー映画作品を手掛けてきた新田(にった)義貴さんが、摩文仁の丘を中心に、沖縄各地における人々の慰霊の姿を描く。
主人公は、旧摩文仁村米須(よねす)で生まれ育った大屋初子さん(89)。大屋さんは沖縄戦の際に集団自決が起きた壕(ごう)にいたが生き残り、戦後は地元にある「魂魄(こんぱく)之塔」のそばで参拝者に花を売り続けてきた。この塔は住民が戦後、辺り一面に広がっていた遺骨を拾って納めた骨塚がやがて慰霊塔となったもので、家族などの遺骨が帰らない多くの沖縄県民が今もここを訪れる。
カメラはまた、戦争犠牲者を悼む「慰霊」と、国家のために戦った兵士を〝英霊〟としてたたえる「顕彰」の場も写し、それぞれの思いを聞く。そこには今も沖縄の人々の中に残る、日本本土に対する複雑な心情、つまり沖縄と日本本土との心情的な〝分断〟も浮き彫りとなる。沖縄戦で米軍に追い詰められた日本軍は司令部を沖縄島の中部から南部へ移したが、この南部撤退は住民を戦闘に巻き込み、住民に自決を強要するなどしながら多くの命を犠牲にした。しかもその作戦は、米軍の日本本土への上陸を一日でも遅らせるための時間稼ぎが目的だったとされる。
移住者や難民の支援、核兵器廃絶への姿勢などあらゆる面で世界の分断が深まる中、新教皇レオ14世が誕生した。そして選出直後、全世界の教会に向けて「常にあらゆる人を受け入れるために開かれた教会」となるよう「努力」する必要を呼びかけた。本作を見て、自身と異なる立場や思想の人々の祈りや平和への思いに触れることは、その「努力」にもなるのではないか。その具体的一歩は分断の世に橋をかけ、対話を始めることにつながり得るのかもしれない。
6月7日、桜坂劇場(沖縄)で先行上映開始。同月21日からシアター・イメージフォーラム(東京)でロードショー。作品についての問い合わせは、シアター・イメージフォーラム(電話03-5766-0114)へ。
