ヨハネから洗礼を受けたイエスは、宣教活動を開始するに当たって荒れ野で準備の期間を過ごします。その間、誘惑と向き合いますが、ことごとく退けたというのが本日のマタイ福音書の内容です。
「イエスは悪魔から誘惑を受けるため」と荒れ野へ向かった理由が説明されています。神への信頼から人を引き離そうとする力や働きのことを聖書では悪魔と表現しています。しかし、荒れ野へとイエスを導いたのは神の霊です。この場面は悪魔が実際に現れて誘惑したというよりも、私たちが経験する、父である神に対する信頼を壊そうとする思いがイエスの心にも湧き上がってきたということかもしれません。誘惑を退けるイエスを通して、神のことばに信頼する「神の子」の姿が明らかにされています。
40日間、断食を行って空腹状態のイエスに最初の誘惑が訪れます。「神の子なら、石をパンに変えたらどうだ」。神の子としての力を自分のために使いたいという誘惑です。イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と言って誘惑を退けます。これは申命記からの引用です(8・2-3参照)。委ねられている力を自分のために利用しないのが神の子です。
二つ目の誘惑は神を試すことについてです。最初の誘惑と同じように、ここでも神の子ならと言っています。神の子なら神が守ってくれるはずだとそそのかしています。「神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える」。これは詩編のことばです(91・11-12参照)。イエスは「あなたの神である主を試してはならない」と言って誘惑を退けます。申命記からの引用です(6・16参照)。神を試すことなく、神が求める道を歩むのが神の子です。
偶像崇拝へのいざないが三つ目の誘惑です。神ではないものを神であるかのように頼ろうとする行為が偶像崇拝です。「退け、サタン。あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と言ってイエスは誘惑を退けます。これも申命記からの引用です(6・13参照)。神への信頼を忠実に生きるのが神の子です。
準備の期間を終えたイエスは、神の力に満たされて宣教活動を開始していきます。誘惑を全て神のことばによって退けたことからも分かるように、イエスの宣教活動全体を支えたのは、言うまでもなく神のことばへの信頼です。
(立花昌和神父/東京教区 カット/高崎紀子)

