主の洗礼 1月11日 マタイ 3・13ー17 洗礼の意味

 主の洗礼に当たり、わたしたちはなぜイエス様が洗礼をお受けになったのかについて黙想することになります。イエス様は完全な神であり、罪がないので悔い改めて新たに生まれる必要もない方なのに、どういう訳で洗礼を受けられたのでしょうか。

 ここでわたしたちは洗礼の意味について深く考える必要があります。
 イエス様は洗礼を受ける必要のない方ですが、ご自分と同じように洗礼を受ける全ての人が神の子となる資格を得ることを示すために自ら進んで洗礼者ヨハネのところに行かれたのです。
 そしてこれが神の御心にかなう正しいことであるということを示すためにこう言われます。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」(マタイ3・15)。
 その証拠として、天からイエス様が神の子であるという声が聞こえてきました。それは天の御父がイエス・キリストの存在について証しをし、宣布する声でした。
 主の洗礼によって、同じ洗礼を受けるわたしたちもキリストのように神の子となるという意味に気付くのです。すなわち、主イエス・キリストは人となり、洗礼を受けることによって、洗礼を受ける全ての人が人間であっても神の子として新たに生まれるということを教えてくださるのです。

 さて洗礼を受けたわたしたちは、主の洗礼を通して受洗者が持たなければならない態度についても考える必要があります。
 イエス様が謙遜な姿で洗礼を受ける時、神がその存在について証しをしてくださいました。洗礼を受けたわたしたちも謙遜な姿を維持する時、神はキリストのようにわたしたちを栄光に上げられ、正しい道に導いてくださるのです。
 また今日の福音に書いてあるように、イエス様は洗礼を受けてから祈っておられました。その祈るイエス様の上に聖霊が降ってきましたし、その祈るイエス様の姿に対して神は「わたしの心に適う者」と宣言されたのです。

 わたしたちが受けた洗礼は、父と子と聖霊のみ名によって受けたものです。そして、今日の福音を通じて神ご自身が三つの位格を全て現してイエス・キリストの洗礼とわたしたちの洗礼が同じであることを証ししてくださいました。
 三位一体の神が同時に現れた唯一の出来事である主の洗礼を祝いながら、わたしたちが受けた洗礼の意味について改めて黙想し、神に感謝をささげたいと思います。
(ダニエル・キム・ドンウク〈金桐旭〉神父/韓国殉教福者聖職修道会 カット/高崎紀子)

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