被災されたお家の片付けをするボランティアに参加した時の話です。そのお家は全ての家財道具が使えなくなり、処分のためにそれらを家の外に出す作業をさせていただきました。作業が始まると家主のお母さんが来られ、庭に座って片付けられていくご自宅をじっとご覧になっておられました。
しばらくしてお母さんはどこかへ行かれました。お帰りになられたと思っていました。しかし、お母さんは手に買い物袋を下げて戻って来られ、「休憩の時に」とわたしたちに飲み物とお菓子を下さいました。全て甘い物で、わたしたちの疲れを癒やすためにと買い物されたのです。わたしたちは驚き恐縮しました(ボランティアは本来何かを頂くことはできませんが、皆で話し合い、ご厚意に甘えさせていただきました)。お母さんは午後にもまた買い物をされ、わたしたちに甘い飲み物とお菓子を下さいました。
お母さんにお話を伺いましたら、被災当時の壮絶な体験を語ってくださり、わたしたちがボランティアに伺った当時、お父さんと避難所暮らしをされているとのことでした。ご自身は大変な状況で、建物以外は全てを処分するお家をご覧になりながら、わたしたちボランティアのために飲み物とお菓子を届けてくださったのです。
今日は貧しい人のための世界祈願日です。今日の福音の朗読箇所は5節からですが、21章は神様に全てをささげる女性の話から始まり、今日のみ言葉はこの女性の行いによって理解できます。まず、ルカ福音書21章の1節から4節を読んでください。
イエス様は献金する人々の中から、レプトン銅貨2枚を入れる女性を見ました。彼女が持っている全てをささげたのです。そして弟子たちに、そこに全てをささげる人がいると知ること、イエス様ご自身もその人と一緒にいると教えられているようです。
5節からは戦争、暴動、大きな地震、飢饉、疫病、迫害など、あらゆる痛み、苦しみに遭ったとき、うろたえず、忍耐する(自分の場に踏みとどまる)ようにとわたしたちに教えておられます。
それは無理に我慢しなさいと言っているのではありません。イエス様はわたしたちに「知ってください」と声をかけ続けておられます。あなたたちが忍耐し、踏みとどまることができるのは、苦しみの中でも人を思いやり、持てるだけのやさしさを惜しみなく与えようとしてくれる人が必ずいるからだと教えておられるのです。
カトリック教会があるところには、必ずカリタスという団体があり、今この瞬間も戦争、災害のさなかで弱い立場に置かれた方々と共にいます。人のやさしさのうちに、イエス様も苦しみに打ちひしがれているわたしたちと一緒に踏みとどまってくださっています。わたしたちはそのやさしさに生かされています。
人々のためにとボランティアに行かせていただきましたが、太陽のようなお母さんと出会い、わたしたちの心は暖かく照らされ、やさしさの翼で癒やされました。
(寺浜亮司神父/福岡教区 カット/高崎紀子)

