子どもの頃の話です。教会学校に行くと、やさしい助任神父さんがお仕事をされていました。神父さんの近くに座って友達が来るのを待っていました。友達が一人また一人とやって来て、みんなで元気よく遊びました。とても楽しかった教会での思い出です。
「主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し人の子らとともに楽しむ」(第1朗読 箴言8・31)
イエス様にとって、神様のお造りになったこの地上でわたしたちと一緒におられる時が一番楽しい時間です。楽しい笑い声が響く教会はイエス様もわたしたちも大好きです。
冒頭で話した神父さんはわたしが司祭になる2年前に急に天に召されました。あの時は泣きました(T_T)。司祭として一緒に働くことを夢見ていたので…。人との別れは耐えることができない本当につらいものです。
「あなたたちに言わなければならないことが、いっぱいあります。今のあなたたちではまだ無理です。でも、心配しなくて大丈夫です」(ヨハネ16・12参照)。弟子たちとイエス様との別れの時が来ます。別れの寂しさは楽しさを全て忘れさせてしまいます。「あなたたちを元気にさせるエネルギーが来ます。そして、あなたたちをありのままに導いてくださる」(同16・13参照;「真理の霊」にはありのままの元気なエネルギーという意味もあります)。イエス様が約束されたありのままの元気は、同じ痛みを持っている人々に耳を傾けるようにわたしたちを導きます。弟子たちは寂しく、悲しみに打ちひしがれている人々に声をかけます。イエス様は弟子たちの口を通してやさしく語りかけます。「あなたのことが大切です。あなたがいてくれて、わたしは本当にうれしい外」と。「神様のものである皆さんはわたしのものですよ(同16・15参照)」。イエス様に呼び集められたイエス様のものであるみんなが教会なんです。
「お行儀よく、静かに」と決して言わない神父さんでした。生まれつき30秒もじっとしていることができないわたしでしたが、神父さんの横で座っている時、わちゃわちゃせず静かに友達を待っていることができました。あのやさしい時間は何もしていなくても楽しかったものです。
ありのままを受け入れ合う三位一体の交わり。ありのままの元気によって教会には神の愛が注がれ続けています。そこで友達と過ごす楽しさ、わたしたちの元気の中に「あなたたちと一緒にいるとき、わたしは楽しいよ」と喜ぶイエス様の声が響きます。「聖霊によって神の愛が注がれる」(第2朗読 ローマ5・5参照)。
皆さんの教会は楽しいですか?(^^)
(寺浜亮司神父/福岡教区 カット/高崎紀子)
