復活節第5主日 5月18日 ヨハネ 13・31ー33a、34ー35 イエス様といつも一緒

「神様がわたしたちといつも共にいて…わたしたちの涙をことごとく拭い取ってくださる」
(第2朗読・黙示録21章参照)

 「共にいてくださる。一緒にいてくださる」。これが今日のみ言葉のテーマです。
 ですから、一緒にいない。一緒にいることができない。一緒にいてもずっと孤独を感じている。これらはわたしたちにとって、最も苦しいことであり、涙です。
 ユダはイエス様を祭司長たちに引き渡すため、イエス様や仲間の使徒たちの元から出て行ってしまいました。ユダが一緒にはいなくなってしまった。これは使徒たちにとって、大きな苦しみでした。さらに、使徒たちはその後のイエス様の死に苦しみ、涙します。もっと苦しかったことは、自分たちがイエス様をおいて逃げてしまったこと。その途方もない恥ずかしさと悔しさでした。逃げてしまった弱い自分自身の姿を見ることができなかったのです。
 これは今のわたしたちと同じです。一緒に過ごしていたあの人が、自分の期待通りにしてくれなかった。信じていたのに裏切られた。わたしたちはこれらのことに傷つき、悲しみ、怒ります。
 また、あの人に優しくすることができなかった。最後まで一緒にいることができなかった。こういった無力感にわたしたちは苦しみ続けます。
 今日の第1朗読での使徒たちは伝えています(使徒言行録14章参照)。「悩み、苦しみをとおって、神の国に入らなければならない」。これは苦しみが神の国に入る条件だと言っているわけではありません。
 「今のあなたの苦しみ、悲しみ、寂しさを持ったまま、イエス様のことを人々に伝えていきましょう」と呼びかけているのです。「神様は苦しさに涙するわたしたちと一緒にいてくださっている方です。その神様と一緒にいることに気付くこと。それが神の国です」と。
 ユダが出て行ってしまった後、イエス様は弟子たちに言われました。「みんなありがとう。わたしが愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」。イエス様も寂しくて涙されていたはずです。神様はわたしたちの涙を拭ってくださるとき、一緒に涙してくださるのではないでしょうか。
 イエス様はわたしたちに声をかけ続けます。「自分がいなくなった後、あなた方のことが心配ですが、神様がそばに一緒にいてくださいます。だから思い通りにならなくても怒らないで、憎まないで。苦しいとき、悲しいとき、寂しいとき、泣いていいんですよ」
 さらにイエス様は語ります。「わたしが一緒にいて楽しかった時のように。いつまでも互いに仲良くしてください」と。
(寺浜亮司神父/福岡教区 カット/高崎紀子)

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