イエス様が今日言われた「塩」は、わたしたちの食生活において非常に重要なものです。「塩」がなければどんな料理を作ってもおいしくないからです。そのため、わたしたちは「塩」と言うと、その味だけに注目しがちです。今日はその塩の秘密について考えたいと思います。
イエス様はこう言われます。「塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう」。塩には塩気があるから味を付けることができるという意味でしょう。それでは、その塩味はどうやって出るのでしょうか。
塩が塩味を出すのは溶ける瞬間です。塩は溶けて自分の結晶体の形を失わなければ塩味を付けることも、塩気があると認められることもないのです。これが塩の秘密です。
わたしたちが常に見ている塩は白い粉の形になっていますが、それは塩の結晶体です。そしてそれが結晶体のまま溶けないとしたら、味がしないので、どこにも使うことができない無駄なものになります。しかし、塩は溶ける性質を持っているために、どんな料理にも使うことができるのです。
塩が溶ける性質を持っている理由は海から生まれたからだと考えられます。それなのに、なぜイエス様はわたしたちを「地の塩だ」と言われたのでしょうか。
それは、今は地上にいるわたしたちが、最初にどこから来たのかを忘れてはならないと教えるためです。わたしたちは皆、神から生まれたのです。塩が溶けて味を出すように、わたしたちも自分自身を溶かして塩味を出すのです。
韓国にいる時、わたしは「塩の人形」という歌が好きでした。ある詩人の詩にメロディーを付けた歌ですが、その内容はいまだに心の中にとどまっています。「海の深さが知りたくて、海に入った塩の人形のように、君の深い傷が知りたくて君の血の中に飛び込んだわたしは、塩の人形のように何も残らず完全に溶けてしまいました」
わたしたちは地の塩です。世の中に塩気をもって塩味を出すことができるのは、ただ塩一つだけです。それも溶けなければ味は感じられません。
わたしたちが神の子だと言いながら、その姿を日常生活の中に、人間関係の中に溶かさなければ、わたしたちは塩気がない、無味の白い粉でしかないと思います。
(ダニエル・キム・ドンウク〈金桐旭〉神父/韓国殉教福者聖職修道会 カット/高崎紀子)

