幼子イエスの命が危機にさらされていることを知らされたヨセフとマリアはエジプトに避難し、やがて戻って来ることができた3人はガリラヤのナザレという町に住むようになった、というのが本日のマタイ福音書の内容です。
ところで、幼子の命を守るためにエジプトへの避難と帰還を主導したのは神です。神からの指示がヨセフに与えられますが、それは全て夢によるものでした。聖書における夢の多くは人間に対する神の意志を示す手段として描かれています。
エジプトへの避難と帰還という出来事においてヨセフは重要な役割を担っています。ところが、不思議なことに、4福音書のどこをさがしても彼の言葉は一言もありません。だからでしょうか、ヨセフは目立たない、控え目な存在のように思われているところがあります。
しかし、今日の福音の箇所を読む限りそうではないことがよく分かります。イエスの命が狙われていることを知るやいなや、ヨセフは素早く決断し、幼子と妻を連れ、夜の闇に紛れて出発しています。神の呼びかけに従おうとする従順さと、父親としての力強い姿がそこにあります。
避難と帰還という二つの話の末尾には、いずれも旧約聖書からの引用があり、さらには「預言者(たち)を通して言われていたことが実現するためであった」と共通して述べられています。エジプトへの避難と帰還という出来事は旧約聖書の預言が確かに実現したことを強調しています。
これは3人の旅が単なる逃避行などではなく、神による救いの計画が完成に向かって進んでいることを表しているのだそうです。
異国の地で難民となったイエスとマリアとヨセフの家族はどれくらいの期間そこにとどまったのか、また、どのような生活であったのかということについては聖書に何も書かれていません。
しかし、多くの苦難を強いられたことは間違いないでしょう。イエスの誕生の時に訪れた学者たちが贈り物としてささげた品(黄金、乳香、没薬)を売って苦境をしのいだという逸話もあります。
ヨセフとマリアは命懸けで幼子イエスを守りながら時が来るのを忍耐強く待ち続けたことでしょう。そのことを通して家族の絆は深められていったに違いありません。
(立花昌和神父/東京教区 カット/高崎紀子)

