義(ただ)しい人とは神様に仕えている人と言う意味があるそうです。また、神様に仕える人はやさしい人のことです。ヨセフ様はやさしい方でした。
ヨセフ様はマリア様のことを、しかもおなかに赤ちゃんがおられる人を罪人としてさらし者にするようなことを決して望まれませんでした。
「マリア様とおなかの赤ちゃんをなんとか助けよう。みんなに分からないように自分から結婚の約束を取りやめよう」とヨセフ様は一生懸命考え、悩み疲れて眠り込んでしまわれたようです。
その夢の中に、主の使いが現れ、こう告げます。
「ダビデの子ヨセフ、心配しなくていいよ、大丈夫です。あなたの妻マリアをあなたの隣に受け入れなさい。マリアから生まれる子は聖なる息吹による子ですから」と。
主の使いはさらに「マリアは男の子を産む。その子にヨセフ、あなたがイエスと名付けなさい。なぜなら、その子はその子の民を背きから救うからですよ」と伝えます。
主の使いは最初からずっと、ヨセフ様に、あなたの妻はマリア様ですよと呼びかけ続けます。
「世界中のみなさん、見てください。おとめが身ごもって、
男の子を生む。そして彼の名をインマヌエルと人々は呼ぶ」
その名は「神様はわたしたちの真ん中に一緒に」という意味です。
ヨセフ様にとって神様に仕えるということは、マリア様とイエス様にやさしく、あたたかく人生を共にすることでした。
フランシスコ教皇様もインマヌエルの名についてわたしたちに教えてくださっています。
「神がわたしたちの人生にともにおられ、わたしたちのただ中で生きておられるということなのです」(回勅『主はわたしたちを愛された』34)
ヨセフ様は眠りから起き上がり、主の使いが言い付けたように、ご自身の妻としてマリア様を隣に受け入れられました。マリア様の隣にはいつもやさしいヨセフ様がおられます。ヨセフ様とマリア様の真ん中にはイエス様がおられます。
「イエスがあなたに近づき、あなたの隣に座ることを受け入れてください」(同回勅37)
わたしたちの隣には、いつもやさしい聖家族がおられます。
(寺浜亮司神父/福岡教区 カット/高崎紀子)

